1981-1982シーズン

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1981-1982シーズン

【1981-1982総括】

前シーズン(1980-1981シーズン)の1981世界選手権Bプールで1勝8敗の最下位に終わり、Cプールへ降格となった日本代表にとって、1982世界選手権Cプールは優勝が至上命令でした。目標達成のため、しばらく行われていなかったナショナルチーム候補選手の夏合宿、日本リーグの6回戦制の実施、全日本選手権の12月開催。そして、異例とも言える1月はじめからのナショナルチームの長期合宿などが行われました。その効果は結果として表れました。1982年3月19日から28日までスペイン・ハカで行われた1982世界選手権Cプールにおいて、7戦全勝で優勝を飾り、屈辱のシーズンは1年で脱出し、Bプールへの昇格を決めました。
また、高い次元に挑戦できるように、若手育成強化も将来に向け長期展望に基づいた第一歩を踏み出しました。世界ジュニア選手権Bプールの初参加です。大会は3月16日から20日までオランダ・ハーレンベンで開催。予選リーグでは優勝したノルウェーに敗れたものの、3位決定戦でデンマークを破り3位になりました。日本リーグの若手・中堅の伸びとともに、ジュニア代表の躍進は日本アイスホッケー界充実の兆しの表れと見ることができると思わせました。
さらに、強化・普及事業を進めるための長期安定資金確保を目的とした初の冠大会「セイコー・ワールド・アイスホッケー」が誕生したのもこのシーズンでした。
大会・試合以外としては「勝つために手段を選ばないラフプレーが横行する風潮になり、世界とは違った方向に走ってしまった」と鬼鞍弘毅専務理事(当時)は振り返っています。今後の対策として、「競技倫理委員会」を設置し、クリーンなファイトで試合を行うように指導することとなりました。

【1981-1982日本代表】

第50回全日本選手権終了後に編成された日本代表。82年1月7日からの苫小牧合宿を皮切りに3次にわたる強化合宿を行いました。合宿期間中の2月7日から21日までの間には「セイコー・ワールド・アイスホッケー」も開催され、日本代表はカナダ、ソ連、日本選抜などと試合を行いました。そして、3月10日に国内合宿を切り上げ、ヨーロッパへ出発。大会前にデンマーク代表と2試合(6-1、5-3)、イタリア代表と1試合(5-5)戦い、本番(世界選手権Cプール)を迎えました。
初戦は優勝候補のユーゴスラビア。苦戦を強いられましたが逆転勝ち(7-4)。この勝利が2戦目以降にもつながり、デンマーク(5-4)、スペイン(11-2)、ブルガリア(6-0)、フランス(6-2)、韓国(25-0)、ハンガリー(10-1)と破り、7戦全勝で優勝を飾り、Bプール復帰を成し遂げました。
ジュニア日本代表は3月16日から20日までオランダ・ヘーレンベンで開催された1982世界ジュニア選手権Bプールに参加しました。当初9カ国が参加予定でしたが、ポーランドが不参加となり、競技方法も変更され、4カ国ずつの2グループで予選リーグを行い、その後、順位決定戦が行われました。
日本はBグループに属し、予選リーグでは初戦でノルウェーに敗れましたが(3-4)、オランダ((9-2)、イタリア(5-3)を破りました。順位決定戦(3、4位決定戦)ではデンマークを6-4で破り、初参加ながら3位入賞を果たしました。

【1981-1982主なJIHF主催大会】

第50回全日本選手権Aグループ(1981年12月26日~30日@東京・品川、国立代々木)

8チームが参加した予選では、王子製紙が法政大学を18-1、雪印が古河電工を5-3、西武鉄道が十條製紙を6-3、国土計画が青森ナショナル家電を22-0でそれぞれ破りました。勝者4チームは1回戦総当たりの決勝リーグへ進み、敗者4チームはトーナメント方式の順位決定戦に回りました。決勝リーグでは国土が西武を5-1、雪印を6-3、王子を5-2で破り、7年ぶり2回目の優勝を飾りました。
全日本選手権Bグループは82年2月2日から4日まで青森・八戸で7チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝で駒大苫小牧高校がグリーンメイトを6-1で破り2年連続2回目の優勝を成し遂げました。
全日本選手権Cグループは82年2月6日から8日まで栃木・小山ゆうえんち日光電工リンクで12チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝で小山ゆうえんちが八戸市庁を3-2で破り優勝しました。

第1回全日本女子大会(1982年3月8日~10日@東京・品川プリンスホテルアイスアリーナ)

9チームが参加して第1回大会は開催されました。予選では、帯広太陽が戸畑を4-1、国土計画が小山ゆうえんちをPS戦の末に、シルバーシールズが八戸丸光を2-1、釧路ベアーズが伊勢丹を1-0でそれぞれ破り決勝リーグへ。苫小牧ペリグリンはシードのため不戦勝で勝ち上がりました。勝者5チームは決勝リーグで、敗者4チームは順位決定リーグで、それぞれ1回戦総当たりのリーグ戦を行いました。決勝リーグでは帯広太陽が3勝1分で初代女王の座に就きました。

第16回日本リーグ(1981年10月3日~12月20日/6チーム6回戦総当たり)

第16回日本リーグは6チームによる6回戦総当たり、集結方式のリーグ戦で行われました。
第1次リーグは10月3日から12日まで東京・品川プリンスアイスアリーナ、第2次リーグは10月17日から26日まで釧路・十條アイススケートセンター、第3次リーグは10月30日から11月8日まで苫小牧・王子スポーツセンター、第4次リーグは11月14日から23日まで札幌・月寒体育館と真駒内屋内体育館、第5次リーグは11月29日から12月7日まで長野・軽井沢スケートセンターと日光・電工リンク、第6次リーグは12月11日から20日まで東京・品川プリンスホテルアイスアリーナと国立代々木競技場で行われました。
王子製紙が2年ぶり5度の目の優勝を遂げましたが、27勝3分けと無キズのまま、驚異的な連勝記録で日本リーグを制しました。王子の優勝は最終6次リーグを待たず、日光での第5次リーグで早々に決めました。無敗優勝は日本リーグで過去3回(第2回の岩倉、第3回の王子、第8回の西武)ありますが、いずれも5チームによる2回戦総当たりのため試合は各チーム8試合。それと比べると第16回リーグは6チーム6回総当たりのため30試合となります。王子はこれを無キズで乗り切ったのでした。

第37回国民体育大会(1982年1月26日~29日@日光・小山ゆうえんち日光電工リンク他)

成年の部は28都道府県が参加し、決勝戦で青森が栃木を4-1で破り3年ぶり8回目の優勝を飾りました。少年の部では14都道府県が参加し、決勝で北海道が栃木を8-5で破り21年連続33回目の優勝を成し遂げました。

第54回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1981年12月22日~25日@日光・電工リンク他)

24校が参加。決勝戦は2回戦で北海道、準々決勝で大東文化、準決勝で日本大を破った法政と、2回戦で中央、準々決勝で専修、準決勝で東洋を破った明治の顔合わせとなりました。春の東京都大学選手権、秋の東京都大学リーグで明治の後塵を拝した法政が3-1で勝利し、11年連続11回目の「大学日本一」の称号を手にしました。

第31回全国高校選手権・インターハイ(1982年1月19日~23日@八戸・長根リンク他)

25校が参加。決勝は駒大苫小牧と釧路工業の顔合わせになりました。駒大苫小牧は2回戦で釧路江南、準々決勝で苫小牧工業、準決勝で日光を破っての決勝進出。一方、釧路工業は2回戦で釧路短大附、準々決勝で苫小牧南、準決勝で苫小牧東に勝利し勝ち上がりました。決勝戦は駒大苫小牧が8-2で釧路工業を退け、3年連続7度目の栄冠に輝きました。

第2回全国中学校スケート競技大会(1982年1月29日~31日@札幌・真駒内屋内競技場他)

12チームが参加して行われ、決勝は苫小牧和光と釧路北の「苫小牧VS釧路」の対決となり、苫小牧和光が3-2で優勝しました。

【1981-1982その他の大会・出来事】

セイコー・ワールド・アイスホッケー(1982年2月6日~21日@東京・国立代々木競技場他)

1982世界選手権Cプールを控えた日本代表の強化試合として、カナダのスモークィーターズとソ連のロシア共和国(当時)選抜を招いて行われました。アイスホッケーでは初めて行われた冠大会で、日本代表以外にも北海道選抜、日本選抜、本州選抜のチームも編成されました。特に注目されたのは日本選抜。日本リーグでプレーする各チームの外国人11人を中心にしたチームで、彼らがプロ入りすれば「億単位の年俸」と言われたほど、各国の元代表組やNHL経験者がそろっていました。
大会の試合結果は次の通りです。北海道選抜8-2カナダ、日本代表12-5カナダ、日本代表6-6カナダ、日本選抜7-1ソ連、日本代表5-3カナダ、ソ連8-3カナダ、日本選抜10-3日本代表、ソ連2-1日本代表、日本選抜7-4カナダ、日本代表4-3ソ連、日本代表5-2ソ連、ソ連8-5日本代表、日本代表6-4本州選抜。日本代表はカナダに2勝1分け、ソ連に2勝2敗、日本選抜に1敗の結果でした。

海外遠征

1月14日から23日まで「ナショナルBチーム」が日中交流の第4次訪中団として中国へ遠征しました。北京、ハルビン、長春で4試合を行いました。また、4月6日から18日まで学生選抜チームがソ連へ遠征し、5試合行いました。この遠征は2月に行われた「セイコー・ワールド・アイスホッケー」の際に、ロシア共和国チームの団長に依頼したことにより実現したものでした。

第 1 版:2024 年 3 月 31 日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 昭和56-57年 創刊号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 1981-1982 No.1、2、3(発行:ベースボール・マガジン社)
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