1982-1983シーズン

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1982-1983シーズン

【1982-1983総括】

1984年にユーゴスラビア(当時)で開催されるサラエボオリンピックの出場権がかかった世界選手権Bプールが3月21日から31日まで東京で開催されました。オリンピックの出場枠は、9月に開催されたIIHFの準年次総会で次のように決定されました。
1)オリンピック開催国:ユーゴスラビア
2)前回(レークプラシッド大会)優勝国:アメリカ
3)世界選手権Aプールの内、棄権の東ドイツを除く7カ国
4)世界選手権Bプールのユーゴスラビア、アメリカを除く上位2カ国
5)世界選手権Bプールのユーゴスラビア、アメリカを除く上位3番目の国と世界選手権Cプール優勝国とのプレーオフの勝者
以上の12カ国でした。
日本代表がサラエボオリンピックに出場するためには、最低でも上記の「5」をクリアする必要がありました。しかし、2勝2分3敗の5位に終わり、サラエボオリンピック出場を果たすことはできませんでした。1960年のスコーバレーオリンピック以来、連続7回のオリンピック出場は不可能になりました。
一方、ジュニア日本代表は、3月14日から20日までフランス・アングレで開催された1983世界ジュニア選手権Bプールに参加。前シーズン(81-82シーズン)の3位を上回る2位となりました。将来へ向けてジュニアの強化は不可欠であり、日本代表がオリンピック出場を逃した状況下において、ジュニアの台頭が救いと言えました。
1972年9月に日本スケート連盟からの分離独立が認められ、日本アイスホッケー連盟が誕生しました。11月1日付には、日本体育協会への加盟が認められました。それから10年の月日が流れ、1983年1月14日に「創立十周年祝賀会」が行われ、連盟発展のため、多大な尽力のあった9人の方も表彰されました。

【1982-1983日本代表】

1977年以来6年ぶりに日本開催となった世界選手権Bプール。日本代表は3位以内のメダルとサラエボオリンピック出場権獲得を目指し、大会に臨みました。
開会式直後のユーゴスラビアとの初戦は勝利したものの3-2と苦戦を強いられました。第2戦のスイスとは3-3の引き分け、3戦目のルーマニアに6-2と快勝しましたが、続くノルウェーには4-5と初黒星。第5戦のオーストリアと引き分け(5-5)、オリンピック出場は厳しい状況になりました。6試合目のポーランドには1-2で敗れたものの、攻めまくるポーランドに対して、善戦する日本や好守のGK三澤実に、「ニッポン、ニッポン」「ミサワ、ミサワ」と手拍子で大声援が送られました。最終戦のアメリカに1-12で敗戦。日本は2勝2分3敗、勝ち点6の5位に終わりました。
ジュニア日本代表は3月14日から20日までフランス・アングレで開催された1983世界ジュニア選手権Bプールに出場しました。試合形式は前回から多少変更され、参加8カ国を2つに分けた予選リーグを行い上位2カ国(計4カ国)で優勝決定リーグ、下位2カ国(計4カ国)で下位順位決定リーグが行われました。日本は予選リーグでBグループに属し、オランダに惜敗したものの(4-5)、オーストリア(6-3)、イタリア(12-2)に連勝、日本、オーストリア、イタリアが同率(2勝1敗)で並び、得失点差で1位となり決勝リーグに進出しました。決勝リーグではポーランドに敗れたものの(3-5)、スイスに勝利し(4-1)、スイス、日本、ポーランドが2勝1敗で並び、3チームの得失点差でも日本とスイスが同数ということで、対オーストリア戦の対戦得失点差においてわずか1点差で涙を飲み、優勝=Aプール昇格を逃し、惜しくも2位で終わりました。
ユニバーシアード日本代表は2月18日から26日までブルガリア・ソフィアで開かれたユニバーシアード冬季大会に参加しました。日本は過去2回参加し、1970年が4位、1979年が3位でした。今回のメンバー構成は日本リーガー7人、大学生13人でした。予選リーグでブルガリア(6-2)と韓国((9-1)に勝利し、チェコには敗れ(0-15)ましたが、予選2位で決勝リーグに進出。決勝リーグではソ連に0-10、ルーマニア6-8と敗れ、4位に終わりました。

【1982-1983主な日ア連主催大会】

第51回全日本選手権Aグループ(1983年1月15日~24日@東京・品川、国立代々木)

日本リーグ6チームによる1回戦総当たりのリーグ戦で覇権が争われました。また、各チームは外国人選手抜きのチーム構成で戦いました。
第17回日本リーグでも連覇をしていた王子製紙が、今大会でも強さを発揮しました。古河電工を7-5、雪印を4-3、十條製紙を10-3、西武鉄道を7-4、国土計画を5-2で破り、無敗で優勝を飾りました。
全日本選手権Bグループは16チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝で明治大学が群馬シールズを4-1で破り優勝しました。

第2回全日本女子大会(1983年3月3日~5日@八戸・ゴードーアイスパレス)

第1回大会はリーグ戦形式で行われましたが、今回は13チームが参加したトーナメント形式で行われました。決勝は2回戦で国土計画をPS戦の末に(3-3、PS1-0)、準決勝で釧路ベアーズを3-0で破った前回の覇者・帯広太陽と、2回戦で伊勢丹を(3-1)、準決勝で八戸丸光(5-1)を下したシルバーシールズが対戦。帯広太陽が2-0で勝利し、大会連覇を達成しました。

第17回日本リーグ(1982年10月2日~12月19日/6チーム6回戦総当たり)

第17回日本リーグは6チームによる6回戦総当たり、集結方式のリーグ戦で行われました。
第1次リーグは10月2日から10日まで釧路・十條アイススケートセンター、第2次リーグは10月15日から25日まで日光・電工リンクと東京・品川プリンスホテルアイスアリーナ、第3次リーグは10月28日から11月5日まで東京・品川プリンスアイスアリーナ、第4次リーグは11月14日から23日まで札幌・雪印スケートセンターと月寒体育館と真駒内屋内競技場(1試合のみ軽井沢スケートセンター)、第5次リーグは11月27日から12月5日まで苫小牧・王子スポーツセンター、第6次リーグは12月10日から19日まで東京・品川プリンスホテルアイスアリーナと国立代々木競技場で行われました。
第16回リーグで無敗の優勝を遂げた王子製紙。第17回リーグでも連勝記録は西武鉄道に3-5と敗れストップがかかりましたが、第6次リーグ早々に優勝を決めました。
また、岩倉組を引き継ぎ、第14回リーグから参戦した雪印が、王子、西武に次ぐ3強入りを果たしました。

第38回国民体育大会(1983年1月28日~31日@群馬・伊香保ハイランドスケートセンター)

成年の部は28都道府県が参加し、決勝戦で東京が群馬を6-1で破り2年ぶり7回目の優勝を飾りました。少年の部では14都道府県が参加し、決勝で北海道が栃木を9-7で破り22年連続34回目の優勝を成し遂げました。

第55回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1982年12月21日~24日@日光・電工リンク他)

26校が参加。決勝戦は2回戦で北海道、準々決勝で早稲田、準決勝で専修を破った法政と、2回戦で慶應義塾、準々決勝で大東文化、準決勝で東洋を破った明治の顔合わせとなりました。秋の東京都大学リーグで優勝目前にして明治にまさかの大敗(0-8)で3位となった法政が、6-2で勝利し、12年連続12回目の優勝を成し遂げました。

第32回全国高校選手権・インターハイ(1983年1月22日~25日@盛岡・盛岡県営)

25校が参加。決勝は釧路工業と苫小牧東の顔合わせになりました。釧路工業は2回戦で有朋、準々決勝で光星学院、準決勝で日光を破っての決勝進出。一方、苫小牧東は2回戦で軽井沢、準々決勝で釧路短大附、準決勝で前回王者の駒大苫小牧をPS戦の末破り(5-5、PS3-1)、勝ち上がりました。決勝戦は釧路工業が5-3で苫小牧東を退け、悲願の初優勝を成し遂げました。

第3回全国中学校スケート競技大会(1983年2月2日~4日@軽井沢)

10チームが参加して行われ、決勝は釧路北と釧路鳥取の対戦となり、釧路北が6-5で優勝しました。

【1982-1983その他の大会・出来事】

83セイコー・スーパー・アイスホッケー(1983年2月7日~13日@東京・国立代々木競技場他)

昨シーズンに続き、日本代表の強化を目的に開催されました。来日チームはレークプラシッドオリンピックの優勝メンバー3人に元プロ7人を加えたアメリカと、世界ジュニア選手権Aプールの優勝メンバー9人を含んだソ連でした。その2チームに日本代表をはじめ、日本代表Bチーム、北海道選抜が参加して行われました。この強化試合シリーズでは、東京大会で日本代表がアメリカから6-4で初勝利を飾りました。
試合結果は次の通りです。アメリカ7-5日本代表B、アメリカ5-1日本代表、ソ連11-3北海道選抜、日本代表6-4アメリカ、ソ連7-1アメリカ、ソ連12-2日本代表。

海外遠征

日本アイスホッケー連盟として初の試みとして、次代のナショナルAチームにつながる選手強化の一環としてナショナルBチームを編成しました。全日本選手権終了後の1月下旬にチームが編成され、2回の強化合宿などを経て、3月下旬に中国へ遠征、3試合を行い、2勝1敗の成績を残しました。

第 1 版:2024 年 3 月 31 日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 昭和57-58年 第2号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
日本のスケート発達史 日本スケート連盟編(発行:ベースボール・マガジン社)
アイスホッケー・マガジン 1982-1983 No.1、2、3(発行:ベースボール・マガジン社)
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