1983-1984シーズン

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1983-1984シーズン

【1983-1984総括】

オリンピックイヤーであった1983-1984シーズン。日本代表はサラエボオリンピックに出場できませんでした。オリンピックに出場できなかった影響は少なくなく、メディアの露出が減ってしまいました。
オリンピックが開催されたため、世界選手権は行われませんでした。その代替として、オリンピックの出場権のない8カ国が参加しての大会が開かれました。「セイヤー・タット杯」です。日本代表は1勝1分5敗の8カ国中6位と今一つの結果に終わりました。
ジュニア日本代表は、3月19日から25日までフランス・カーンで開催された1984世界ジュニア選手権Bプールに参加。前シーズン(82-83シーズン)の2位を上回ることはできませんでしたが、当初の目的の入賞(3位)を果たすことはできました。今大会に表れているように、ジュニア世代の奮闘は、地盤沈下を起こしつつある日本のアイスホッケー界にとって大きな救いであるとともに、明るい一面でもありました。Aプールへの昇格という目標もありますが、彼らを育成して、日本代表につなげることが強化の一つになりました。
このシーズンは、大きな決定も行われました。外国籍選手の登録を打ち切りです。日本リーグの6チームは昨シーズンの第51回全日本選手権では、外国人を除いたメンバー構成で戦っていました。日本リーグでは今シーズンの第18回リーグをもって、外国人選手が登録できないため、来シーズン(84-85シーズン)の第19回リーグからは外国人選手が不在となります。第18回リーグが外国人選手のプレーの見納めになりました。
外国人選手はレベルアップや人気の盛り上げなどに効果がありました。その一方で外国人選手に依存しすぎるなどといったマイナス面も少なからずありました。意見はいろいろありましたが、外国人選手の登録は認めないこととなりました。
このシーズンは3つの新規の国際交流も行われました。1つ目は16歳未満の「フィンエア・ワールド・バンタム大会」への初参加。2つ目は学生選抜の強化としてアメリカ・アンカレッジで行われた「クラシック・トーナメント大会」へのチーム派遣。3つ目は1983アジアジュニア選手権の開催です。3事業は強化と事業の面でも大変有意義なものになりました。

【1983-1984日本代表】

3月20日から29日までフランス・グルノーブルで行われた1984セイヤー・タット杯。この大会はサラエボオリンピックに参加することができなかった世界選手権BプールとCプールに位置する8カ国が参加しました。
日本は初戦の中国に4-4の引き分け、その後ハンガリーに4-6、オランダに2-4と連敗。フランスには7-3で勝利したものの、スイスに3-7、ルーマニア4-9、東ドイツに3-8と3連敗となってしまい、最終的には1勝1分5敗の6位に終わりました。昨シーズンの代表組から7名が若手選手と入れ替わり、来シーズン以降に向けて経験を積ませる大会となりました。しかしながら今一つの結果が示すように、今後克服しなければならない課題を残した大会でもありました。
ジュニア日本代表は3月19日から25日までフランス・カーンで開催された1984世界ジュニア選手権Bプールに出場しました。日本ジュニア代表は2週間の国内強化合宿とスウェーデンの強化試合などを経て大会に臨みました。
試合形式は前回と同様で、参加8カ国を2つに分けた予選リーグを行い上位2カ国(計4カ国)が優勝決定リーグ、下位2カ国(計4カ国)で下位順位決定リーグが行われました。日本は予選リーグでBグループに属し、デンマークに10-1と勝利した後の2試合は、オランダとポーランドにともに6-6と引き分け、1勝2分の2位で決勝リーグに進出しました。決勝リーグではオーストリアに3-5で敗れたものの、ノルウェーに5-3で勝利し、1勝1分1敗の3位に終わりました。

【1983-1984主な日ア連主催大会】

第52回全日本選手権Aグループ(1984年1月15日~22日@東京・品川、国立代々木)

日本リーグ6チームによる1回戦総当たりのリーグ戦で覇権が争われました。王子製紙は、初戦の古河電工に7-6、2戦目の国土計画に6-5と苦しいスタートを切りましたが、3戦以降は尻上がりに調子を上げ、十條製紙を7-4、3戦全勝同士の対決なった雪印を4-1で退け、最終戦の西武鉄道にも7-3と勝利し、5戦全勝で優勝を飾りました。
全日本選手権Bグループは84年2月14日から18日まで東京・品川で16チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝は明治大学と八戸市庁が覇権を争い、明治が8-0で下し優勝しました。

第3回全日本女子大会(1984年3月5日~7日@福岡)

第2回大会はトーナメント方式で行われましたが、今回は11チームが参加し、予選は3つのグループに分けたリーグ戦(各グループ分けは3チーム、4チーム、4チーム)、その後、各グループの1位のチームによる決勝リーグ、各グループの2位以下は順位決定トーナメントが行われました。決勝リーグでは国土計画が釧路ベアーズに8-0、帯広太陽に2-1と連勝し初優勝に輝きました。

第18回日本リーグ(1983年10月1日~12月18日/6チーム6回戦総当たり)

第18回日本リーグは6チームによる6回戦総当たり、集結方式のリーグ戦で行われ、外国人選手登場のラストシーズンになりました。
第1次リーグは10月1日から9日まで札幌・雪印スケートセンターと月寒体育館、第2次リーグは10月15日から25日まで東京・品川プリンスホテルアイスアリーナ、第3次リーグは10月28日から11月6日まで日光・小山ゆうえんち電工リンクと神戸・市立ポートアイランド、第4次リーグは11月12日から20日まで釧路・春採アイスアリーナと十條アイススケートセンター、第5次リーグは11月26日から12月4日まで苫小牧・王子スポーツセンター、第6次リーグは12月10日から18日まで東京・品川プリンスホテルアイスアリーナと国立代々木競技場で行われました。
日本リーグ2連覇中の王子製紙が開幕戦で黒星、2戦目も引き分けと波乱ともいえる幕開けで、混戦が予想されました。しかし、王子は持ち直し、第5次リーグで優勝マジックが点灯し、第6次リーグの1日目で3連覇を達成しました。

第39回国民体育大会(1984年1月28日~31日@釧路)

成年の部は27都道府県が参加し、決勝戦で東京が栃木を8-3で破り2年連続8回目の優勝を飾りました。少年の部では14都道府県が参加し、決勝で北海道が栃木を14-2で破り23年連続35回目の優勝を成し遂げました。

第56回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1983年12月19日~23日@日光・電工リンク他)

28校が参加(棄権した慶應義塾を含む)。決勝戦は2回戦で日本体育、準々決勝で大東文化、準決勝で東洋を破った明治と、2回戦で愛知学院、準々決勝で日本大、準決勝で専修を破りインカレ12連覇中の法政の対決となりました。法政が2ピリまで4-1とリードしていましたが、3ピリに明治が5連続ゴールでまさかの大逆転。6-5で勝利し、法政の12連覇を阻み14回目の優勝を飾りました。

第33回全国高校選手権・インターハイ(1984年1月21日~25日@釧路)

26校が参加。決勝は釧路短大附と釧路工業の釧路決戦となりました。釧路短大附は2回戦で光星学院、準々決勝で駒大苫小牧、準決勝で苫小牧東を破っての決勝進出。一方、釧路工業は2回戦で帯広農業、準々決勝で釧路江南、準決勝で日光を破って決勝進出を果たしました。決勝戦は両校一歩も譲らず4-4のまま「延長戦か」と思われましたが、試合終了1秒前に釧路短大附が劇的な決勝ゴールを決め、初優勝を飾りました。

第4回全国中学校スケート競技大会(1984年2月7日~9日@群馬・伊香保)

12チームが参加して行われ、決勝は釧路北と苫小牧和光の対戦となり、釧路北が5-3で勝利し前回に続き、連覇を達成しました。

【その他の大会・出来事】

国際アイスホッケー三国対抗戦(1984年2月3日~7日@東京・国立代々木競技場他)

スウェーデンのナショナルBとカナダのケンブリッジ・ホーネッツを迎えた日本代表の強化試合が、エキジビション3試合を含む6試合が行われました。初代表が7人と言う若いメンバーの日本代表でしたが白星は上げられませんでした。
試合結果は次の通りです。スウェーデン3-0日本代表、スウェーデン6-2カナダ、カナダ3-2日本代表、スウェーデン14-5古河電工、スウェーデン6-1国土・西武連合、カナダ5-3日本代表。

海外遠征

中学生が、初めて「世界」の中でプレーする機会となった「フィンエア・ワールド・バンタム大会」。フィンランド・ヘルシンキで行われたこの大会の参加チームは18。これを4つのグループに分け予選リーグを行い、各グループ上位2チームの計8チームでファイナルゲームが行われました。予選リーグ4試合を全勝で突破し、準々決勝、準決勝も勝ち上がり決勝へ進出。決勝では2-5で敗れましたが、2位となりました。

サラエボオリンピック

開会式の1日前から試合が組まれ、2月7日から29日まで熱戦が繰り広げられたサラエボオリンピック。参加12カ国を2つのグループに分け予選リーグが行われました。そして、各グループ上位2カ国の計4カ国による決勝リーグが行われ、圧倒的な強さを見せつけたソ連がカナダを4-0、チェコ2-0で破り(予選リーグのスウェーデン戦の10-1を持ち越す)、前回(80年レークプラシッド大会)屈辱を晴らし、6回目のオリンピック制覇を成し遂げました。

第 1 版:2024 年 3 月 31 日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 昭和58-59年 第3号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 1983-1984 No.1、2、3(発行:ベースボール・マガジン社)
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