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1984-1985シーズン
【総括】
日本アイスホッケー連盟は1984-1985シーズンを起点とする10年計画の事業の基本方針を打ち出しました。その重要ポイントは、エージグループ(14、16、18、20歳、大学生、25歳未満)別のナショナル指定チームの強化体制の確立でした。さらにスポーツ医科学の実践、競技力向上について経験主義から科学的データによる理論に裏付けられるような研究実践を進める必要があることを説き始めました。
その一方で、10年計画と並行して世界選手権Bプールでの上位定着と世代交代を成し遂げることも欠かせませんでした。
日本代表は3月21日から31日までスイス・フライブルグで行われた1985世界選手権Bプールに参加。ノルウェー(8-5)、オランダ(4-3)、ハンガリー(11-2)に勝利したものの、スイス(1-4)、オーストリア(3-8)、イタリア(4-6)、ポーランド(0-8)に敗れ、3勝4敗の5位に終わりました。
ジュニア日本代表は、3月15日から24日まで札幌で行われた1985世界ジュニア選手権Bプールに出場しました。地元の利を生かし、悲願のAプール昇格(優勝)を目指しましたが、惜しくも3位に終わりました。
日本リーグも大きな変化がありました。これまでは集結方式で試合行われてきましたが、原則、「ホーム&アウェイ方式」が採用されました。この方式がその後も続き、現在のアジアリーグでも採用されています。
【日本代表】
1985世界選手権Bプールがスイス・フライブルグで3月21日から31日まで開催されました。日本代表は初戦のノルウェーに8-5で勝ち、2戦目のスイスには1-4と敗れたものの、続くオランダに4-3で勝利し、前半3試合を2勝1敗の好スタートを切りました。しかし、第4戦のオーストリアに3-8で敗れると、イタリアに4-6、ポーランドの0-8と連敗、最終戦のハンガリーに11-2と大勝しましたが、3勝4敗の5位に終わりました。今大会は下位2チーム(7位と8位)がCプールへ降格しており、結果的に、ぎりぎりのBプール残留となりました。
ジュニア日本代表は1982年の初参加以来、3位、2位、3位とメダルを獲得。3月15日から24日まで行われた1985世界ジュニア選手権Bプールは、地元札幌開催ということもあり、初優勝とAプール昇格に期待が集まりました。
初戦のイタリアに5-2と快勝して好発進をしましたが、2戦目のオランダには4-4の無念の引き分け。3戦目のオーストリアに10-3と大勝して勢いに乗るかと思われましたが、4試合目のルーマニアに3-5と思わぬ逆転負け。5戦目のフランスに6-3で勝ち、6戦目の相手はそれまで無敗で首位を走るスイス。日本はリードを奪うも2ピリに4失点し、3-5で敗れスイスの優勝が確定し、日本の金メダルは夢となりました。それでも最終戦のノルウェーに3-1で勝利し、4勝1分2敗の3位で銅メダル確保しました。
若手ナショナルチームの強化などの目的で25歳以下日本代表を編成し、12月26日から30日までアメリカで行われたバトルクリーク国際大会に参加しました。本大会で3試合、交流試合で2試合、計5試合を戦い、白星を挙げることはできませんでしたが、目的であった若手の強化とともに、参加した各選手が外国人との試合で通用するかの判断ができるなど、目的を果たしました。
ユニバーシアード日本代表は2月16日から24日までイタリア・ベルーノで開かれたユニバーシアード冬季大会に参加しました。予選リーグでフィンランドに5-10、ソ連に2-13と連敗し、下位リーグに回った日本。下位リーグではイタリアに6-4と勝利したものの、韓国には3-3と引き分け5位に終わりました。
昨シーズンからスタートしたアジア・オセアニアジュニア選手権。1月28日から2月3日まで韓国・ソウルで第2回大会が行われ、日本代表は高校1、2年生でチーム編成し参加しました。日本、韓国、オーストリアの3カ国、2回戦総当たりのリーグ戦で行われ、日本は4戦全勝で優勝しました。
【主な日ア連主催大会】
▽第53回全日本選手権Aグループ(1985年1月13日~20日@東京・東伏見)
日本リーグ6チームによる1回戦総当たりのリーグ戦で覇権が争われました。日本リーグと合わせて3年連続2冠を目指した王子製紙が最終日を待たずに優勝を決め、偉業を達成しました。初戦の古河電工に6-1、2戦目の十條製紙に6-4、3戦目の西武鉄道に8-6、4試合目の国土計画に勝てば最終日を前に優勝となる一戦でも国土を7-4で退け、全日本選手権3連覇と日本リーグと合わせての2冠を成し遂げました。王子の勢いは止まらず最終戦の雪印にも5-4と勝利し、全勝優勝となりました。
全日本選手権Bグループは85年3月9日から13日まで東京・品川で16チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝は前回と同カード。明治大学と八戸市庁と対戦となり、明治が8-4で下し3年連続の優勝を飾りました。
▽第4回全日本女子大会(1985年3月1日~3日@釧路・春採、鳥取)
今回は14チームが参加し、予選は4つのグループに分けたリーグ戦(各グループ分けは4チーム、4チーム、3チーム、3チーム)、その後、各グループの1位のチームによる決勝リーグ、各グループの2位以下は順位決定トーナメントが行われました。決勝リーグでは苫小牧ペリグリンが国土計画に1-0、釧路ベアーズに2-2、帯広太陽3-2、2勝1分で初優勝に輝きました。
▽第19回日本リーグ(1984年9月29日~12月16日/6チーム6回戦総当たり)
第19回日本リーグは6チームによる6回戦総当たりは変わりませんが、第18回リーグまでの集結方式とは異なり、ホーム&アウェイという新しい方式を採用しました。ただし、第1次リーグは札幌に、第6次リーグは東京に集結する方式で行われました。
第1次リーグを9月29日から10月7日まで札幌・雪印スケートセンターと月寒体育館を会場とした集結方式で行った後、第2次リーグから第5次リーグまでは10月10日から12月5日までホーム&アウェイ方式で行われました。そして、第6次リーグは12月8日から16日まで東京・東伏見アイスアリーナに集結して行われました。
日本リーグ3連覇中の王子製紙が順調に勝ち星を重ね、敗れたのは雪印、国土計画、古河電工の3敗のみ。第6次リーグの東京集結シリーズを待たずに日本リーグ4連覇を達成しました。
▽第40回国民体育大会(1985年1月29日~2月1日@八戸)
成年の部は28都道府県が参加し、決勝戦で東京が北海道を6-4で破り3年連続9回目の優勝を成し遂げました。少年の部は14都道府県が参加し、決勝で北海道が青森を13-2で破り24年連続36回目の優勝を飾りました。
▽第57回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1984年12月17日~21日@日光・電工リンク他)
28校が参加した決勝戦は、2回戦で立教、準々決勝で早稲田、準決勝で中央を破った明治と、2回戦で東海、準々決勝で日本大、準決勝で法政を破り、初優勝を目指し3度目の決勝進出となった東洋の対決となりました。明治が5-2で東洋を下し2年連続15回目の優勝を飾りました。
▽第34回全国高校選手権・インターハイ(1985年1月21日~25日@日光・電工、細尾)
28校が参加。決勝は2回戦で軽井沢、準々決勝で光星学院、準決勝で苫小牧南を破った釧路工業と、1回戦で渋川市立、2回戦で釧路江南、準々決勝で釧路短大附、準決勝で苫小牧東を破った駒大苫小牧の対戦となりました。インターハイの前哨戦ともいえる北海道大会決勝と再現となった決勝は、釧路工業が5-3で勝ち、2年ぶり2回目の栄冠を手にしました。
ところで、準決勝で駒大苫小牧に敗れた苫小牧東ですが、同校の田中正監督は、3月に定年退職するため、準決勝が35年間のリンク生活に別れを告げる試合となりました。
▽第5回全国中学校スケート競技大会(1985年2月1日~3日@釧路・春採、十條)
11チームが参加して行われ、決勝は釧路北と苫小牧弥生の対戦となり、釧路北が9-4で勝利し3連覇を達成しました。
第9回全日本チビッコ交歓会(1985年3月27日~30日@東京・品川プリンスホテルアイスアリーナ)
小学生の部(現・風越カップ全日本少年大会小学生の部)
10チームが参加。決勝戦は苫小牧選抜と釧路選抜で争われました。苫小牧選抜は2回戦で宮城県選抜、準決勝で栃木県選抜を破り、釧路選抜は2回戦で帯広選抜、準決勝で札幌選抜を破り、それぞれ決勝へ進出してきました。決勝では苫小牧選抜が3-1で勝利し、2年連続8回目の優勝を成し遂げました。
中学生の部(現・全日本少年大会中学生の部)
10チームが参加。2回戦で宮城県選抜、準決勝で帯広選抜を破った釧路選抜と、2回戦で東京A(品川プリンスJr)、準決勝で青森県選抜を破った栃木県選抜との間で決勝戦が行われました。決勝では、釧路選抜が5-4で勝ち、5連覇を達成しました。
【その他の大会・出来事】
▽国際アイスホッケー三国対抗戦(1985年2月9日~14日@東京・東伏見アイスアリーナ他)
ソ連のロシア共和国選抜(当時)とアメリカのサンバレーサンズを迎えた日本代表の強化試合が、「三国対抗戦」としては2月9日から11日まで3試合、親善試合としては7試合が行われました。「三国対抗戦」で日本代表はソ連に1-10で敗れたものの、アメリカには9-3で勝利しました。ソ連対アメリカは8-1でソ連が勝利。親善試合結果は次の通りです。日本代表11-0アメリカ、北海道選抜4-0アメリカ、ソ連10-6日本代表、古河電工6-2アメリカ、ソ連6-1日本代表、本州選抜6-2アメリカ、ソ連9-4日本代表。
第1版:2024年3月31日・記
第2版:2024年9月19日・改
- <主な参考文献>
- 日本アイスホッケー年鑑 昭和59-60年 第4号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 1984-1985 No.1、2、3、4、5(発行:ベースボール・マガジン社)