1985-1986シーズン

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1985-1986シーズン

【総括】

1984-1985シーズンに日本アイスホッケー連盟は選手強化10年計画を打ち出しました。しかし、早くも2シーズン目に厳しい現実が待ち受けていました。
日本代表は3月20日から29日までオランダ・アイントホーヘンで開催された1986世界選手権Bプールにおいて2勝5敗で最下位となり、Cプール降格となってしまいました。その要因の一つとして、近年、盛んに言われていたBプールの西側諸国が二重国籍のカナダ人プレーヤーによる強化策が挙げられます。ある国では過半数以上がカナダ人で、英語が共通語となっている状態でした。「純血」は東ドイツと、日本だけと言ってもいいくらいの状況でした。二重国籍の流れは避けることができず、今後の選手強化にはエージグループ各層を中心に10年計画体制を再構築し、抜本対策を打ち出す必要がありました。
世界選手権Bプール前には第1回冬季アジア大会が3月1日から8日まで札幌で開催され、日本以外では、中国、韓国、北朝鮮が参加しました。日本は金メダルの有力候補でしたが、不覚にも中国に敗れ、2位に甘んじました。
ジュニア日本代表も苦しい戦いを余儀なくされました。3月13日から22日までオーストリア・クラーゲンフルトで行われた1986世界ジュニア選手権Bプールに参加。過去4回はいずれもメダルを獲得していましたが、5位に転落してしまいました。
また2月15日から22日までオーストラリア・アデレードで開かれた1986アジア・オセアニアジュニア選手権でも優勝はしましたが、中国と1勝1敗(3-5、12-1)と苦戦を強いられました。
日本代表、ジュニア日本代表、アジア・オセアニアジュニア日本代表と、どのナショナルチームも厳しい戦いの場に直面していました。
1986年4月に開催されたIIHF・4年次総会では、1988年にカナダで開催されるカルガリーオリンピックの最後の出場枠はプレーオフ方式が採用されることが決まりました。1987年の世界選手権のBプール4位とCプール優勝チームが2試合戦い、勝者が出場権を得ることになりました。1987年の世界選手権はCプールが戦いの場となった日本代表にとってオリンピック出場のチャンスが巡ってきました。Cプール優勝、そしてプレーオフ勝利は大変なことですが、全力を尽くして、カルガリーオリンピック出場権獲得を目指すことになりました。
IIHF・4年次総会では女子の国際トーナメントが開催されることも決まりました。1987年4月にカナダ・トロント周辺で行われ、オーストラリア、カナダ、中国、フィンランド、西ドイツ、日本、アメリカ、オランダ、スウェーデン、スイスが参加を表明しました。
日本代表は苦しい戦いとなりましたが、国内のメイン事業である日本リーグと全日本選手権Aグループにおいて、観客動員は盛況となりました。特に、全日本選手権Aグループの決勝は、会場の国立代々木競技場に10,000人余りのファンが駆け付けました。

【日本代表】

1988年のカルガリーオリンピックの実質的な第1次予選会となる1986世界選手権Bプールがオランダ・アイントホーヘンで3月20日から29日まで開催されました。日本代表は初戦のフランスに2-1で勝ち、2戦目のスイスには4-6と敗れたものの、続くオランダに4-3で勝利し、前半3試合を2勝1敗の好スタートを切ました。しかし、第4戦のイタリアに0-1、第5戦の東ドイツに3-4といずれも1点差負けを喫すると、オーストリアに2-6、最終戦のユーゴスラビアにも0-5と連敗。2勝5敗の8位と最下位になり、Cプール降格となりました。
世界選手権Bプールの前には第1回冬季アジア大会が3月1日から8日まで札幌で開催されました。参加国は日本、中国、韓国、北朝鮮の4カ国。2回戦総当たりのリーグ戦を行い、日本は当然のことながら金メダルを目指しました。初戦の北朝鮮に10-1、第2戦の韓国に20-1と力差を見せつけました。しかし、第3戦の中国に1-4とまさかの敗戦。第4戦の北朝鮮(11-1)、第5戦の韓国(10-2)に連勝し、最終戦の中国には3点差以上で勝利すれば、逆転で優勝という状況となりました。日本は4-1とリードして第1ピリオドを終えましたが、その後、連続失点し4-4の引き分け。中国に初代王者を明け渡してしまいました。
ジュニア日本代表は3月13日から22日までオーストリア・クラーゲンフルトで行われた1986世界ジュニア選手権Bプールに出場しました。
初戦のオランダに6-5、2戦目のルーマニアに5-7と序盤は1勝1敗のスタートとなりました。3試合目のブルガリア(12-0)、4戦目のイタリア(7-2)に連勝し、3勝1敗と上位を狙える位置にいました。しかし、後半3試合はポーランドに0-3、オーストリアに5-6、ノルウェーに0-8と3連敗。3勝4敗で5位に終わりました。過去4回は3位、2位、3位、3位といずれもメダルを獲得していましたが、初めてメダルなしとなりました。

【主な日ア連主催大会】

▽第54回全日本選手権Aグループ(1986年1月14日~19日@東京・東伏見アイスアリーナ、国立代々木競技場)

昨シーズンまでの方式とは異なり、日本リーグ6チームを3チームずつの2グループに分けて予選リーグ戦を行い、それぞれ上位2チームが決勝トーナメントに進出し、準決勝は各グループの1位対2位、そして勝者が決勝で対戦する形式で行われました。予選A組は1位・王子製紙、2位・古河電工、3位・十條製紙に、予選B組は1位・国土計画、2位・西武鉄道、3位・雪印となりました。準決勝は王子が西武に8-6、国土が古河に4-3で勝利しました。決勝は10,000人の観衆が見守る中、全日本選手権3連覇中の王子と日本リーグの覇者・国土の対決となり、王子が6-3で勝ち4連覇を達成しました。
全日本選手権Bグループは86年2月19日から23日まで16チームが参加し、八戸・新井田インドアリンクにおいてトーナメント方式で行われました。決勝は山陽国策パルプが八戸市庁を4-2で下し優勝しました。

▽第5回全日本女子大会(1986年2月28日~3月3日@栃木・小山ゆうえんち日光電工リンク)

今大会には12チームが参加し、予選は3つのグループに分けたリーグ戦、その後、各グループの1位チームによる決勝リーグ、各グループの2位以下は順位決定トーナメントが行われました。決勝リーグでは国土計画が苫小牧ペリグリン2-1、帯広太陽に2-1と全勝で2年ぶり2回目の優勝に輝きました。

▽第20回日本リーグ(1985年9月28日~12月22日/6チーム6回戦総当たり)

第20回日本リーグは第19回同様に6チームによる6回戦総当たりリーグ戦とホーム&アウェイ方式で行われました。ただし、第3次リーグは苫小牧に、第3次リーグは東京に集結しました。
第1次リーグと第2次リーグは9月28日から10月23日までホーム&アウェイ方式、第3次リーグは10月26日から11月4日まで苫小牧・王子スケートセンターで行われました。そして、第4次リーグと第5次リーグは11月12日から12月11日まで再びホーム&アウェイ方式に、そして第6次リーグは12月13日から22日まで東京・東伏見アイスアリーナに集結して行われました。
過去4シーズンは王子製紙が独走した日本リーグでしたが、第20回リーグは最終日に優勝が決まる大混戦となりました。前半15試合を終わり首位に立ったのは雪印。それを国土計画と王子が追う展開となりました。終盤、王子に優勝マジックが点灯しましたが、最終戦を前に国土に自力優勝が復活してマジックが灯り、全90試合の内、89試合目の国土対西武鉄道戦で国土が6-4で勝ち、逆転で日本リーグを制覇しました。

▽第41回国民体育大会(1986年1月28日~31日@山梨・河口湖)

成年の部は28都道府県が参加し、決勝戦で東京が青森を11-6で破り4年連続10回目の優勝を飾りました。少年の部は14都道府県が参加し、決勝で北海道が栃木を15-1で破り25年連続37回目の優勝を成し遂げました。

▽第58回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1985年12月16日~20日@日光・電工リンク他)

29校が参加した決勝戦は、2回戦で福岡、準々決勝で日本大、準決勝で早稲田を破った明治と、2回戦で東北、準々決勝で専修、準決勝で法政を破った東洋との昨シーズンと同一対決となりました。明治が8-2で東洋を下し3年連続16回目の優勝を達成しました。

▽第35回全国高校選手権・インターハイ(1986年1月19日~23日@群馬・伊香保ハイランド)

20校が参加。決勝は2回戦で釧路江南、準々決勝で八戸商業、準決勝で苫小牧東を破った駒大苫小牧と、2回戦で日大鶴ヶ丘、準々決勝で日大高、準決勝で釧路工業を破った苫小牧南との対戦となりました。駒大苫小牧が15-4で勝ち、4年ぶり8回目の栄冠を手にしました。

▽第6回全国中学校スケート競技大会(1986年2月2日~4日@軽井沢)

10チームが参加して行われ、決勝は釧路北と釧路鳥取の釧路対戦となり、釧路北が9-2で勝利し4連覇を達成しました。

【その他の大会・出来事】

▽国際アイスホッケー三国対抗戦(1986年2月14日~21日@東京・東伏見アイスアリーナ他)

ソ連のロシア共和国選抜(当時)とカナダの1988年オリンピックチームを迎えた日本代表の強化試合が、「三国対抗戦」として2月14日から16日まで3試合、親善試合としては6試合行われました。「三国対抗戦」で日本代表はソ連に2-8で敗れたものの、カナダには5-5と引き分ける大健闘を見せました。ソ連対カナダは4-2でソ連が勝利。親善試合結果は次の通りです。ソ連6-5日本代表、ソ連11-2日本代表、ソ連5-1日本代表、カナダ7-0日本代表、カナダ6-1日本代表、日本5-5カナダ。

第 1 版:2024 年 3 月 31 日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 昭和60-61年 第5号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 1985-1986 No.1、2、3、4、5(発行:ベースボール・マガジン社)
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