1989-1990シーズン

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1989-1990シーズン

【1989-1990総括】

1992年のアルベールビルオリンピック出場権獲得が大命題の日本アイスホッケー界。1989-1990シーズンは予選が行われる勝負のシーズンである1990-1991シーズンを翌年に控えたシーズンでした。フランス・リヨンなどで行われた世界選手権では、首の皮1枚を残してBプール残留を決めました。ギリギリでの残留でしたが、ヨーロッパ各国がカナダの多重国籍プレーヤーによる強化を進めており、その状況下において、日本代表の結果は、健闘したとも言えなくはありませんでした。1988-1989シーズンではAプールにいたポーランドが今シーズンはBプールに戦いの舞台を落としました。当然、上位進出と思われましたが、6位に低迷したのも、「カナディアンパワー」を導入していなかったからにほかなりません。
来シーズンはオリンピック予選が控えています。相手がカナディアンによる強化は推し進めていようとも、チーム力を強化する抜本的な対策が必要になると思われました。

ジュニア代表は、昨シーズン、一昨シーズンは世界ジュニア選手権で4位とメダルを獲得することはできませんでしたが、今季は4勝2敗1分で3位と銅メダルを獲得。1日も早くAプール入りを果たしてもらいたいものでした。アジア・オセアニアジュニア日本代表は1987-1988シーズンに中国の後塵を拝しましたが、2位に甘んじたのはその時のみ。常にトップに位置していました。彼らが成長して代表チームにつながること。ジュニア育成が選手強化の基本になると思われました。

世界のアイスホッケー史の歴史的1ページを飾る第1回世界女子選手権がカナダ・オタワで開かれ、日本女子代表が参加しました。結果は5戦全敗でしたが、新たな一歩を踏み出しました。

国内では2つのビッグタイトル、日本リーグでは王子製紙、全日本選手権では国土計画が優勝しました。また、十條製紙が日本リーグで3位、全日本選手権では2位と大躍進しました。各チームとも、海外合宿・遠征などでチーム力向上を推し進めており、レベルアップを図っていることは間違いところでした。

【1989-1990日本代表】

1月の全日本選手権終了後に代表メンバーを選考し、1月のソ連・ハバロフスク遠征、2月のカナダオリンピックチームとの国際大会を行い、さらに冬季アジア大会を経て、1990年3月29日から4月8日まで、フランス・リヨンとメジェーブで行われた世界選手権Bプールに参加した日本代表。
日本代表はその前哨戦として3月10から13日まで札幌・月寒体育館で行われた第2回冬季アジア大会に参加しました。4年前の第1回大会では不覚を取り、銀メダルに終わった日本(金メダルは中国)。今回、日本は唯一のBプール所属国でもあり優勝間違いなしと思われていました。しかし、初戦の韓国に11-7、第2戦の北朝鮮に6-2と、勝利を収めたものの、集中力を欠いた戦いぶりや大乱闘ありなど、内容はもう一つ。それを引きずるかのように中国に2-4で敗れ、第1回大会に続き悪夢の再現となってしまいました。
冬季アジア大会を経て迎えた1989世界選手権Bプール。初戦のイタリアはほぼカナディアンのチームで、1-7で敗れた日本。第2戦のポーランドに2-8、第3戦のスイスには1-6、第4戦のフランスに2-3、第5戦のオーストリアに2-7、第6戦の東ドイツに1-6と開幕から6連敗。最終戦のオランダ戦にBプール残留をかけて戦いました。6連敗中同士の対戦、日本は勝つか引き分け(得失点差)ければ残留が決まりました。2ピリを終えて2点のビハインドでしたが、第3ピリオドに追い付き、4-4の引き分けでBプール残留を決めました。
その後、1990年8月に東西ドイツは統一されました。そのためBプールの東ドイツはAプールの西ドイツと統一され、1991年の世界選手権でドイツはAプールに、オランダのCプール降格はなくなりBプールとなりました。

日本ジュニア代表は1990年3月26日から4月4日まで、西ドイツのバート・トゥルツなどで行われた1990世界ジュニア選手権Bプールに参加しました。当初はルーマニアで開催される予定でしたが、チャウシェスク政権の崩壊などルーマニア国内の情勢不安のため、開催国が変更になりました。
日本は初戦のユーゴスラビアに7-7と引き分けましたが、第2戦のオーストリアに9-2、第3戦のデンマークに5-3、第4戦のフランスに5-4と3連勝。第5戦のドイツに2-5、第6戦のスイスに4-8で敗れたものの、最終戦のルーマニア6-4と勝利。4勝2分2敗の勝点9の3位で銅メダルを獲得しました。
ところで、第2次合宿からジュニチームで初めて外国クラブチーム育ちの選手が代表入りし、新風を吹き込みました。二瓶太郎(兄・FW)・次郎(弟・GK)です。その後、彼らは日本代表入りを果たしたほか、コクドや日本製紙クレインズなどで活躍しました。

アジア・オセアニアジュニア日本代表は1990年2月10日から17日まで韓国・ソウルで行われた1990アジア・オセアニアジュニア選手権に出場しました。参加国は韓国、中国、オーストラリア、日本の4カ国。2回戦総当たりのリーグ戦が行われ、日本は中国(3-1、8-1)韓国(10-0、6-2)、オーストラリア(26-0、33-0)と6連勝で2年連続6回目の優勝を果たしました。

女子アイスホッケーの歴史の1ページを記す、初の世界女子選手権が1990年3月19日から25日まで、カナダ・オタワで行われました。女子日本代表は、2月に帯広で開催された第9回全日本女子選手権において、ベスト4のチームからメンバー20人を選考し大会に参加しました。参加国はカナダ、アメリカ、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、スイス、西ドイツ、日本の8カ国。8カ国を4カ国ずつの2グループに分けてリーグ戦を行い、それぞれのグループの1位と2位は準決勝へ、3位と4位は順位決定戦(5位-8位決定戦)を行う方式でした。日本はグループAに入り、初戦の西ドイツに1-4、第2戦のスウェーデンに4-11、第3戦のカナダに0-18と3連敗となり、順位決定戦に回りました。順位決定戦の初戦の相手であるグループB3位のスイスに4-5の惜敗。最終戦の西ドイツにも2-9で敗れ、8位に終わりましたが、フェアプレーカップを受賞することができました。

【1989-1990主なJIHF主催大会】

第58回全日本選手権Aグループ(1990年1月8日~13日@東京・国立代々木競技場、東伏見アイスアリーナ)

前シーズン同様、日本リーグ6チームを3チームずつの2つのグループに分けて予選リーグを行い、それぞれ上位2チームが決勝トーナメントに進出し、準決勝は各グループの1位対2位、そして勝者が決勝で対戦する形式で行われました。
予選A組は西武鉄道、王子製紙を連破した十條製紙が1位となり、以下2位・王子、3位・西武に、予選B組は、1位・国土計画、2位・雪印、3位・古河電工となりました。予選の結果、準決勝で王子対国土が激突。国土が7-4で決勝へ進みました。もう一つの準決勝の十條対雪印は十條が延長戦の末、2-1と接戦を制し、創部41年目で初の決勝進出を果たしました。国土と十條とで争われた決勝は、GKを中心とした守りの良さを発揮した国土が4-2で勝利し、2年ぶり4回目の優勝を飾りました。

第24回全日本選手権Bグループは1990年2月15日から17日まで茨城・サンピア日立で15チームが参加し、トーナメント方式で行われました。決勝でグリーンメイトが山陽国際パルプを6-2で破り初優勝を飾りました。

第9回全日本女子選手権(1990年2月10日~12日@北海道・帯広の森アイスアリーナ)

16チームが参加し、前回までの方式とは異なりトーナメント方式で行われました。決勝に駒を進めたのは、1回戦で神戸ポートアイランダース、準々決勝でセキスイJAPO、準決勝で釧路ベアーズを破った国土計画と、1回戦で長谷川ウィッチーズ、準々決勝でシルバーシールズ、準決勝で帯広太陽を破った苫小牧ペリグリンでした。決勝で国土は1-0で苫小牧を下し、2年連続5回目の栄冠を手にしました。

第24回日本リーグ(1989年9月30日~12月27日/6チーム6回戦総当たり)

第23回日本リーグは6チームによる6回戦総当たり、ホーム&アウェイ方式が行われました。原則、各チームのホームリンクで試合は行われましたが、ホームリンク以外の地方開催も6箇所で行われました。
日本リーグ開幕前の9月1日から10日までカナダ・カルガリーで初めて日本代表候補の強化合宿が行われました。その影響がどう出るのか。また3チームの監督が交代。半分のチームの監督が一度に変わることはこれまでなく、新体制となったチームがどのような戦いぶりを見せるのかにも興味が集まりました。
第20回リーグ以降、覇権を争う形となっていた王子製紙と国土計画をの2チームを中心に優勝争いが展開されると見られました。開幕かから安定した戦いぶりの王子が、星を落としたのは西武鉄道の1敗のみ。宿敵・国土にも3勝3分けと勝ち越し、2年ぶり11回目の覇権を手にしました。2位は国土。3位には12勝13敗5分とほぼ5割の星を残した十條製紙が、日本リーグ加盟16年目にして初のAクラスとなりました。

第45回国民体育大会(1990年1月28日~31日@岩手・盛岡)

成年の部は28都道府県が参加し、決勝戦で東京が北海道を8-3で破り3年ぶり12回目の優勝を飾りました。少年の部では14都道府県が参加し、決勝戦で北海道が栃木を8-3で破り2年連続40回目の優勝を成し遂げました。

第62回日本学生氷上競技選手権・インカレ(1989年12月21日~24日@北海道・苫小牧)

29校が参加。決勝戦は2回戦で慶應義塾、準々決勝で東海、準決勝で専修を破った法政と、2回戦で中央、準々決勝で早稲田、準決勝でPS戦の末に東洋を破った明治が対戦。法政が7-5で勝利し、7年ぶり13回目の優勝を成し遂げるとともに、秋の関東大学リーグ戦との二冠を達成しました。

第39回全国高校選手権・インターハイ(1990年1月20日~24日@盛岡・県営スケート場他)

27校が参加。決勝は駒大苫小牧と釧路短大附の顔合わせになりました。駒大苫小牧は1回戦で明大中野、2回戦で日本大高、準々決勝では前回の覇者・釧路江南を、そして準決勝で日光に勝利し勝ち上がりました。一方、釧路短大附は1回戦で慶應義塾、2回戦で光星学園、準々決勝は八戸工大一、準決勝で苫小牧工業を破り決勝へ進出しました。決勝戦は駒大苫小牧が10-2で勝利し、2年ぶり10回目の優勝を飾りました。優勝回数10回は苫小牧東と並び最多タイ(当時)となりました。

第10回全国中学校競技大会(1990年2月1日~4日@北海道・帯広の森アイスアリーナ)

13チームが参加して行われ、決勝は釧路鳥取と釧路北の「釧路勢対決」となり、鳥取が北を9-4で破り第1回大会以来9年ぶり2回目の優勝を飾りました。

第14回全日本少年競技会(1990年3月27日~31日@長野・軽井沢スケートセンター)

小学生の部(現・風越カップ全日本少年大会小学生の部)
12チームが参加。釧路選抜は2回戦で宮城県選抜、準決勝で帯広選抜を破り決勝進出。苫小牧選抜は2回戦で東京都選抜、準決勝で栃木県選抜を破り決勝へ進出してきました。決勝では釧路選抜が7-2で勝利し、苫小牧選抜の7連覇を阻止し2回目の優勝を飾りました。
中学生の部(現・全日本少年大会中学生の部)
12チームが参加。2回戦で東海B、準決勝で帯広選抜を破った釧路選抜と、2回戦で宮城県選抜、準決勝で札幌選抜を破った苫小牧選抜との間で行われました。決勝では釧路選抜が苫小牧選抜を6-5で破り、3年ぶり8回目の優勝を成し遂げました。

【その他の大会・出来事】

「89国際大会・日本対ソ連」(1989年12月24〜27日@神戸、東京)

ソ連の最上級リーグであるスーパーリーグ(当時)の9位のディナモ・ミンスクを迎えての日本代表との強化試合が3試合行われました。3戦全敗に終わった日本代表でしたが、第3戦では第2ピリオドまで3-1とリード。さらに試合終了18秒前に決勝点を奪われるまでは3-3と粘りを見せるなど、アルベールビリオリンピック出場権獲得が大目標の日本代表にとって、光明が刺した内容でした。大会結果は次の通りです。
ディナモ・ミンスク 5-1 日本<1P(2-0)2P(1-0)3P(2-1)>
ディナモ・ミンスク 6-1 日本<1P(3-1)2P(1-0)3P(2-0)>
ディナモ・ミンスク 4-3 日本<1P(0-2)2P(1-1)3P(3-0)>

国際大会・日本対カナダ」(1990年2月28日〜3月4日@苫小牧、札幌、東京)

1990世界選手権へ向けての強化の一環として、カナダオリンピックチームを迎えての国際大会。結果は4戦全敗でしたが、第2戦を除き大善戦の試合内容でした。大会結果は次の通りです。
カナダ 2-1 日本<1P(1-0)2P(0-0)3P(1-1)>
カナダ 11-1 日本<1P(3-0)2P(5-0)3P(3-1)>
カナダ 5-3 日本<1P(1-1)2P(1-2)3P(3-0)>
カナダ 6-2 日本<1P(3-0)2P(1-0)3P(2-2)>

「ジャパンカップ・90スーパーアイスホッケー」(1990年5月12日〜17日@東京・東伏見アイスアリーナ)

88年はソ連単独、89年はソ連とチェコスロバキアが来日し、世界のトップレベルのプレー見せた「ジャパンカップ」。3年連続の来日となったソ連とともに今回、招聘されたのはスウェーデンでした。ソ連、スウェーデンともに若返り中で、フレッシュのメンバーとなりました。
ソ連、スウェーデン、そして日本代表によるに「ジャパンカップ・90スーパーアイスホッケー」が1990年5月23日から28日まで、2回戦総当たり方式で行われました。ソ連が選手層の厚さを見せつけた大会でした。大会結果は次の通りです。
スウェーデン 9-2 日本<1P(3-0)2P(1-1)3P(5-1)>
ソ連 17-3 日本<1P(10-1)2P(5-1)3P(2-1)>
ソ連 5-2 スウェーデン<1P(2-0)2P(1-2)3P(2-0)>
スウェーデン 8-0 日本<1P(2-0)2P(2-0)3P(4-0)>
ソ連 10-2 日本<1P(2-1)2P(5-1)3P(3-0)>
ソ連 7-0 スウェーデン<1P(3-0)2P(2-0)3P(2-0)>

第1版:2024年9月19日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 平成元年-平成2年 第9号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 1989-1990 No.1、3、4、5、6、1990-1991 No.1(発行:ベースボール・マガジン社)
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