日本リーグを盛り上げた外国人プレーヤーたち Vol.2[1994-2004]

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日本リーグを盛り上げた外国人プレーヤーたち Vol.2[1994-2004]

1966-1967シーズンにスタートした日本リーグは、アジアリーグへ移行する形で2003-2004シーズンの第38回リーグで幕を下ろした。その間、各チームには数多くの助っ人外国人選手(のちに帰化した選手を含む)がいた。彼らは各国のナショナルチームのメンバーとしてオリンピックや世界選手権に出場した実績の持ち主であったり、世界最高峰のリーグであるNHLでプレーしたりするなど、世界の兵(つわもの)たちと言える存在で、彼らの一挙手一投足がチームの勝敗に直結したといっても過言ではない。また、ファンも彼らのプレーに魅了された。
日本アイスホッケー界に多大な影響を与えたことは間違いない外国人選手は、日本リーグで外国人不在期間があるため、第1回リーグから第18回リーグまでの「第1期」と、第29回リーグから第38回リーグまでの「第2期」の二つに分けることができる。
今回は「第2期」の58人をピックアップ。それぞれの実績をメーンとしたプロフィールと日本リーグにおけるシーズン毎の個人成績を紹介。また彼らを良く知る元チームメートの方々、王子製紙は髙木英克さんに、コクドは髙木邦男さんに、西武鉄道はラトゥーシュニーとウエルズについては榛沢務さん、彼ら以外は青山勇人さんに、日本製紙クレインズは田中俊司さん、嶋貫薫さん、伊藤賢吾さんに、古河電工・日光アイスバックスは春名真仁さんに、そして雪印は岩本裕司さんに、彼らがどんなプレーヤーであり、チームに与えた影響などを「各選手のレビュー」として語ってもらった。さらに印象に残っている外国人・日系人選手たちもピックアップしてもらった。

試合後の様子
「日本代表vs日本リーグ外国人選抜」1996年2月12日(東伏見アイスアリーナ)
ベンチの様子
日本リーグ外国人選抜ベンチの様子(左からライアン・フジタ、マシュー・カバヤマ、スティーブン・ツジウラ)
試合の様子
左からジョエル・ディック、ライアン・フジタ、ダスティー・イモオ

<日本リーグ外国人選抜チーム(1996年2月12日)>
【GK】ダスティ・イモオ(西武鉄道)、二瓶次郎(コクド)
【DF】トム・カーバース(西武鉄道)、ダニエル・ダイカワ(西武鉄道)、アナトリー・フェドートフ(新王子製紙)、ウラジミール・クラムスコイ(新王子製紙)、マイケル・ディック(日本製紙)、ジョエル・ディック(日本製紙)、ウラジミール・チューリコフ(日本製紙)、マイケル・マードル(古河電工)
【FW】スティーブン・ツジウラ(コクド)、クリス・ユール(コクド)、ライアン・クワバラ(コクド)、ライアン・フジタ(西武鉄道)、マシュー・カバヤマ(西武鉄道)、クリス・ブライト(西武鉄道)、イーゴリ・エスマントビッチ(新王子製紙)、マイク・イケダ(日本製紙)、ケビン・ヒゴ(日本製紙)、アンドレイ・ポプガーエフ(日本製紙)、ロバート・ミワ(雪印)、スコット・フカミ(雪印)、ラデック・ガルドン(古河電工)

  1. 注1:選手の掲載チームについて
    移籍など所属チームが替わった選手に関しては日本リーグの最終所属チームに掲載。
    (例)藤田キヨシ(ライアン・フジタ)選手は西武鉄道からコクドに移り、日本リーグを終えたためコクドに掲載。
  2. 注2:海外のリーグなどの表記について
    ▽北米
    ACH:アランカップホッケーリーグ。カナダ・オンタリオ州のリーグ。
    AHL:アメリカンホッケーリーグ。アメリカとカナダで構成される北米のプロリーグ。NHLの育成リーグ的存在。
    AJHL:カナダ・アルバータ州のジュニアリーグ。
    BCHL:ブリティッシュ・コロンビアホッケーリーグ。カナダのブリティッシュ・コロンビア州とアルバータ州のジュニアチームで構成されるリーグ。以前はBCJHLなどと表記。
    CHL:セントラルホッケーリーグ。アメリカ中部で行われた下部リーグ。現在はECHLに統合。
    CCHL:セントラルカナダホッケーリーグ。東オンタリオのジュニアリーグ。
    CIAU(CIS):カナダの大学の最高レベル。現・Uスポーツアイスホッケー。
    ECHL:イーストコーストホッケーリーグ。アメリカとカナダのチームで構成される下部リーグ。
    GHL:オンタリオ州ジュニアホッケーリーグ
    IHL:インターナショナルホッケーリーグ。アメリカとカナダのチームで構成された下部リーグ。AHLに吸収。
    NAHL:北米ホッケーリーグ。アメリカのジュニアリーグ
    NCAA:全米大学体育協会
    OHL:オンタリオホッケーリーグ。カナダのジュニアリーグ。
    QMJHL:ケベックメジャージュニアホッケーリーグ
    UHL:ユナイテッドホッケーリーグ。アメリカとカナダのチームで構成されていたマイナーリーグ。ほとんどチームがCHLに吸収。
    WHL:ウエスタンホッケーリーグ。カナダ西部とアメリカ北西部のチームで構成するジュニアリーグ
    ▽ロシア
    スーパーリーグ:旧ソ連並びにロシアのトップリーグ
    KHL:コンチネンタルホッケーリーグ。ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、中国で構成されるトップリーグ。
    ▽チェコ
    エクストラリーガ:チェコのトップリーグ
    ▽チェコスロバキア
    連邦リーガ:チェコスロバキアのトップリーグ。
    ▽フィンランド
    SMリーガ:フィンランドのトップリーグ
    ▽スウェーデン
    SEL:エリテセリエン。スウェーデンエリートリーグ。スウェーデンのトップリーグ。現在はSHL。
    ▽イギリス
    BISL:ブリティッシュアイスホッケースーパーリーグ。現在はEIHLに引き継がれる。
    EIHL:エリートアイスホッケーリーグ。BISL廃止に伴いつくられたイギリスのトップリーグ。
    ▽スイス
    NLA(ナショナルリーグA):スイスのトップリーグ。現在はナショナルリーグ。
    NLB(ナショナルリーグB):スイスのNLAに次ぐリーグ。現在はスカイスイスリーグ。
    ▽その他
    EBEL:エルステバンクアイスホッケーリーグ。当初はオーストリアのチームのみ。その後、スロベニアやハンガリーなどのチームが加入。現在はICE(インターナショナルセントラルヨーロピアン)ホッケーリーグ。
    CIHL:チャイニーズアイスホッケーリーグ。香港のリーグ
  3. 注3:日本リーグのチームに加入時点で日本国籍を取得していて、日本人登録された選手は日本人のため未掲載。
  4. 注4:各選手の個人データは、日本リーグのみを記載。トップリーグとして日本リーグを引き継いだアジアリーグの記録は未掲載。
髙木英克セレクト/トム・カーバース、トム・ペダーソン(ともに西武鉄道)、ヘルムート・バルデリス(王子製紙コーチ)
カーバースとペダーソンですかね。カーバースは、ヒザなどが悪かったですが、貫禄もあり、オールラウンドでチームをものすごく引っ張っていました。チームの核でした。チームメートのハートをつかむことも上手かったようですし、経験豊富でいろんな戦術を教えていました。紳士でしたから変なプレーはしません。シュートもパスも上手かったです。派手なことはしません。パスラインのカットの仕方やシュートブロックのスライディングなど、顔であろうが関係なく行っていました。見ていて「こんなパスができるのだ、こう守るのだ」など、敵なのに勉強になりました。自分たちも身を挺してやらないと、と思いました。
ペダーソンは、背は小さいですけど、シュートが速かったですね。GK平野(克典)さんが「彼にシュートを打たせるな」と言ってくるほどでした。今はビデオジャッジがありますが、当時はなかったので、ゴールインしていても速すぎてパックが出てきたこともあったと記憶しています。西武がパワープレーの際は彼にパックが回らないようにしていました。パスが渡ってもシュートレーンをブロックして、パスを出させるようにしていました。彼がブルーラインからシュートを放って、全盛期の平野さんの肩口を抜いてゴールしていた時もあり、シュート力は脅威でした。
日本リーグではプレーはしていませんが、練習だけは一緒にやっていたコーチのバルデリスはすごかったです。彼がプレーしていたら、絶対優勝していたと思います。平野さんが全盛期の頃、練習後にフェイスオフスポット周辺からシュートを打っていましたが、彼にもスポットからシュートを打つようにお願いしたところ、ほぼ9割方は入れられていました。スケーティングも速く、ハンドリングも上手い。抜く、シュート、パスなど、どの技術も高く、すごいなぁと思ったのはバルデリスです。ラトビア出身で、現役引退後はラトビアアイスホッケー連盟の副会長も務めていました。彼は日本語が流暢でしたので、「自分はロシア人ではない。ラトビア人だ」とはっきり言っていました。コーチでしたから日本リーグに出ていないのに、王子退団後、NHLからドラフト指名されNHL入りしたほどのコーチ(プレーヤー)でした。
  1. 注5 ヘルムート・バルデリス:1952年7月31日生まれ(現ラトビア・リガ)。ソ連代表として世界選手権に5回出場し、金メダル3回(1978、1979、1983)、銀メダル1回(1976)、銅メダル1回(1977)獲得。オリンピックは1980年のレークプラシッド大会に出場し銀メダルを獲得した。1989NHLエントリードラフトでミネソタ・ノーススターズから12巡目(全体で238位)指名を受け、1シーズンプレーした。
髙木邦男セレクト/三谷ダーシ(日本製紙クレインズ)
(私が)DFとしてプレーした現役時代を含めて、三谷は得点能力が高かったため嫌でしたね。紳士な選手でしたが、点取り屋として数字は残しましたし、何かやられるという感じで、敵として脅威のFWでした。
乱闘もしないですし、やられても我慢するタイプで、それでいて点は入れますし、アシストもします。何も言うことはありません。
青山勇人セレクト/ジョン・タッカー(コクド)、アラン・コーテ(雪印)、ウラジミール・シャドリン(王子製紙)、カート・ベネット(古河電工)
タッカーは周りを生かすプレーをしていました。シュートは良いし、さすがだなと思いました。他のチームにもNHL経験プレーヤーはいましたが、タッカーはNHLプレーヤーでも別格でした。NHLとマイナーリーグを行ったり来たりではなく、常にNHLにいるプレーヤー。しかもトップクラスでしたね。良いシュートを放って、随分入れられた印象が残っています。
コーテも良かったですが、彼は、元々ケンカ屋(笑)。本村(剛)がスティックでたたかれて、骨が折れそうになりました。グレン・ウイリアムソンコーチが彼のことを知っていて、「スティックはNHL仕様でヘビースティックだから気をつけろ」と言っていました。
日本リーグにデビューした頃、シャドリンとも対戦しています。大人と子どもみたいな状態でした。私がテッド(・マッカニーリー)と組んだ時は、当たっていました。チェックに行ってもびくともしません。出始めですから一生懸命行っても全然ダメ。岩にぶつかったようで、逆に抑えられて、何もできませんでした(笑)。またシャドリンから(本間)貞樹さんへのフリップパス。どう守れば良いのかお手上げ状態でした。
ベネットはダンプインする際、私のサイドにしか放り込んでこないのです。テッドと組んでいて、いつも私の方ばっかり来て嫌だなぁと思っていました(笑)。確か最初はDFじゃなかったかなぁ……。FWになっても放り込んでチェックに来るわけです。当たると重かったですね。
田中俊司セレクト/藤田キヨシ(西武鉄道・コクド)
樺山が日本製紙に来て、「(コクドの)藤田は得点に絡むからとにかく抑えろ。他の選手は自分が見るから、藤田を見ていてくれと」と言っていました。藤田は決めがすごかったですね。シュート力以上にタイミングが良かったです。またポジションも良かったです。完全なゲッターで、ゴールの嗅覚は教えられるものではなく天性です。あと、背丈と同じ長さのスティックを使っていました。
嶋貫薫セレクト/芋生ダスティ(西武鉄道・王子製紙)、アレキサンドル・ゴリコフ(十條製紙コーチ)
芋生は小さい体でのスーパーセーブ。あれだけ抑えるのはすごいなぁと思いました。実は日本製紙も獲得に動いていました。子どもの教育などアメリカンスクールが不可欠で、いろんな条件を釧路ではクリアできませんでした。
ゴリコフは旧ソ連の有名な兄弟選手(アレキサンドルとウラジミール)です。十條製紙時代の第26回日本リーグの時、コーチとして兄がチーム入りしました。物静かな単なるおじさんで(笑)、家族思いの良いお父さんでした。アイスホッケー選手という感じではなかったです。普段はもちろん、練習でもプレーヤーであったとは見えませんでした。喜怒哀楽など感情は全く見せず、常に平常心。昔のソ連のプレーヤーでした。教える時も優しく、丁寧なコーチでした。
試合には出られず練習のみでしたが、パスは上手かったです。自分でキープして上がるわけではなく、前を見てつないでノーマークを取るなどのパスを出していました。
またシュートですがGKの肩口へ上げたシュートを見たことがありません。全部スライド、GKの足元を狙うシュートばかりでしたが、それが決まっていました。スピードもなかったのですが、GKの動きを見ながら逆サイドに放つなど、タイミングを計ってシュートしていました。
チェックもあまりしません。ですがパックを取ることなどはしつこいのです。相手がパックを見ていない時などに奪うのです。殺気がないので相手は分からないのです(笑)。今でいうと、ステルス戦闘機みたいな人でした。
伊藤賢吾セレクト/デレク・プラント(日本製紙クレインズ・アジアリーグ)、ユールクリス、ジョエル・パーピック(ともにコクド)、桑原ライアン春男(コクド・日本製紙クレインズ)
日本リーグ後のアジアリーグですけど、プレーした中でプラントが一番すごかったですね。スピード、シュート、パス、キープ力、守りなどなど、どれをとってもメチャクチャ上手かったです。彼以上の選手とプレーしたことはありません。デレク、(桑原)ライアン、(佐藤)匡史で組んでいましたが、匡史はゴール前でスティックを置いているだけでいいからと言われていました(笑)。
ユールは速いし、シュートは上手いし、すごかったです。キープ力もありました。さらに得点センスもあったので、ポジション取りも想定外のところにいました。彼にはキレとスピードで抜かれましたね(笑)。そのため、中に抜かれないようにフェンス際へ追いやるように守りました。(日本代表として出場した)世界選手権でもスピードを武器に、相手と対等にプレーしていました。
パーピックとは、いつもやりあっていました。勝てるわけがないのですが、引くわけにはいきません。でも、実は桑原が一番嫌でした(笑)。チームメートになって助かりました。
  1. 注6 アレキサンドル・ゴリコフ:1952年11月26日生まれ。ソ連代表として世界選手権に4回出場し、金メダル2回(1978、1979)、銀メダル1回(1976)、銅メダル1回(1977)獲得。オリンピックは1980年のレークプラシッド大会に出場し銀メダルを獲得した。
  2. 注7 デレク・プラント:1971年1月17日生まれ。アメリカ代表として世界選手権に6回出場し、銅メダル1回(1996)獲得。NHLは1989エントリードラフトでバッファロー・セイバーズから8巡目(全体で161位)指名を受け1993-1994シーズンから2000-2001シーズンまでバッファロー、ダラス・スターズ、シカゴ・ブラックホークス、フィラデルフィア・フライヤーズでプレーした。
春名真仁セレクト/ロブ・ドプソン、三谷ダーシ(ともに日本製紙クレインズ)、セルゲイ・バウーチン(王子製紙)他、マーチン・ベージュラン(雪印)、ジョン・タッカー(コクド)、ブライトクリス、藤田キヨシ(ともに西武鉄道)他
各チームにいますよ。日本製紙ではまずはドプソンです。NHLのGKを間近で見ることはなかなかありません。サイズもあって落ち着きのあるGKで、彼のプレーはすごく勉強しました。オールスターゲームの時です。ドプソンから「お前は日本代表になって試合に出ないとダメだ」と言われたのです。自分のプレーを見て覚えてもらえていることにうれしくて、今でも覚えています。
三谷は日本代表でも一緒でした。北米育ちでしたが、物静かで日本人の感覚も持っていました。ポジショニングが良い選手で毎シーズン安定したポイントを挙げていますが、それ以上にチームに尽くすタイプでした。三谷と伊藤雅俊のコンビが得点源になっていて、セットで嫌でしたね。
王子製紙では、まだ子どもでしたからプレーしていませんが(笑)、ロシア人助っ人ではシャドリンやリャプキン、ベロウソフの印象が強烈でした。
バウーチンですけど、NHLではファイトをやっていました。(パトリック・)デガステッドが、「バウーチンには絶対に手を出すな。やられるからな」と言っていました。「やるならオレが行く」と言っていましたが、一度も行きませんでした(笑)。バウーチンは「危ない」というのは聞いていました。でも日本リーグではそんなに暴れていないイメージで、外国人とはやっても日本人とはあまりやらなかった印象です。日本ではファイトの必要はほぼないですし、分かっていてやらなかったと思います。
対戦していた選手よりも、アジアリーグになってしまいますが、チームメートとなった外国人の印象が強いです。リカルド・パーソンはまじめで物静かなスウェーデン人という感じでしたが、しっかり仕事をする選手でした。ベテランで老練な味を出し、シュートも針の穴を通すような感じでした。試合での狙いどころをイメージして、練習ではGKパッドのちょっと上を狙った高さのシュートをずっとやっていました。また1シーズンしか一緒にプレーしていませんが、現在の日本代表監督のジャロッド・スカルディはすごく陽気な選手でした。
雪印はベージュランですね。すごく苦手で、1シーズン(第32回日本リーグ)で40ゴールを挙げていますが、めちゃくちゃ得点されましたから、ボクの貢献度は非常に高いですね(笑)。背が高くてリーチもあり、さらにスティックも長かったのです。経験したことがない振り幅でした。大きく振られて対応できず、1対1になると完敗でした。
コクドはタッカーですかね。タッカー・坂井(寿如)さんのコンビは嫌でしたね。タッカーは抜け目がなく、ゴール裏からスティックにぶつけてゴールを狙ったり、足を狙ったり、スコアになることを常に考えていました。今なら日本人でも当たり前のプレーですが、当時はイメージとしてなかったですね。セットを組んでいた坂井さんや坂田(淳二)にどんどんパスを供給していました。
西武ではブライトをはじめとしたFWの選手ですね。スコアが上手くて、抜け目がなかったですね。ブライトと藤田のコンビでスコアされる印象が強かったです。GK目線ではすごく嫌でした。
純粋に得点を取るだけなら、藤田かな。ゴール前やリバウンドの嗅覚、ブレークアウェイになった時のスコアのセンス、GKの股間を狙ってシュートを放つタイミングなど、藤田は持っていましたね。日本代表でもヤンチャでしたが、チームに溶け込んでいました。
外国人や日系人のおかげで、日本リーグのレベルが上がっていたと思います。外国人とやるのはきつかったですが、面白かったですね。特にパワープレーになると外国人・日系人のセットと対戦になります。厳しいですけど、いかに止めるか。プレーしていて楽しさがありました。
また日系人が来て、長野オリンピック前に日本代表入りするのが難しくなりましたけど、嫌な雰囲気もなかったです。彼らはプロ選手ですから、挑む姿勢など勉強になる面が多々ありました。
岩本裕司セレクト/ジョン・タッカー(コクド)、トム・カーバース(西武鉄道)、アレン・コンロイ(日本製紙クレインズ)、番外編:スタストニー兄弟+ピーター・ボンドラ(スロバキア代表)
一緒に戦っていて、「勉強になるなぁ」と思ったのはタッカーとカーバースです。NHLはすごいと思いました。
タッカーは相手が来るのを読んでいて、頭の後ろに目が付いていると思うほどでした。DFが抑え気味で行き、パックが取れそうだなと思って行くと、バックハンドでパスを坂井(寿如)や坂田(淳二)へ出していました。懐が深くて、「パック取らせてあげますよ」といった雰囲気を出しながら、餌を撒いているのです。そこに行ってしまうと、パックは取れなくてパスを出されます。どこにパスを出したらゴールができるかまでを読んで、敵を呼び寄せているプレーでした。タッカーには行くなと言っても、タッカーは上手いので抜かれる可能性もあります。抜かれたピンチになりますから、行くとパスを出されてしまいます。嫌な選手でしたが、高いレベルの選手とプレーできて楽しかったです。
カーバースは、見た目は堅実な選手です。パスをどんどん供給して、チェックへ行く前に良いパスを出されました。ゴール前の守りも岩のように強かったです。ある試合でしたが3、4点リードしていた時の最終ピリオドでした。残り5分を切った段階でも2点のリードがありました。その時、彼が急に攻め出してきたのです。そして彼に2点入れられました。本気を出したなと思いましたよ(笑)。いきなり攻め出して、全然止められませんでした。ゲームをひっくり返すところまでやられたなと思ったのは、カーバースだけでした。本物でしたね。
負けたくないと思ってやっていたのはコンロイですね。コンロイは、身長はあまりなかったですが、荒い面もあるし、アイスホッケーIQが高い選手でした。相手の肩を引っ張って自分が先に行くなどプレーにズルさもありました。上手くやるので、腹は立つけど敵ながら感心していました。

番外編として、スタストニー兄弟とピーター・ボンドラとの対戦を紹介。1992年夏にイギリスで行われた「1994リレハンメルオリンピック最終予選」。日本はスロバキア、ラトビア、ポーランド、イギリスと、オリンピック行きの切符1枚を争った。
スロバキアはピーター・スタストニー、アントン・スタストニー、ピーター・ボンドラら7人のNHLプレーヤー(経験者を含める)を擁していた。特に、スタストニー兄弟とボンドラが組む第1セットは強力ラインであった。このラインに、日本は伊賀裕治、清枝公志、そして岩本のラインをマッチアップさせた。岩本さんに当時を振り返ってもらった。
自分は鈴木(宣夫)や坂井と比べれば攻撃面では劣っているし、サイズももう一つ。でも彼らより勝るところあるとすれば守り。どういうところを守れば良いか、敵のやりたいところを読めました。あの時は守りのセットといった役割を鮮明にしてもらい、初めて日本代表としてセットを組み、やる気も出ましたね。伊賀も清枝も守りは上手かったし、ハードワークでした。練習から3人で組んでスタストニー対策をしました。
実際に対戦してみて、アイスホッケー人生の中で一番走りました。毎シフト、ベンチに戻ってくると乳酸が溜まって足はパンパン状態。それまでに一度も経験したことはなかったです。自分としても一生懸命やったし、そこまで追い込まないと守れなかったと思います。彼らと対峙した時、日本人を抑える力では全く通用しなくて、120%の力を出しても抑えきれないぐらい。それでもがむしゃらにやりました。力を入れてお尻を押しても全く動きませんし、パックには全然届かなかったです。
トップの選手と対戦すると自分も一段階上がれます。(ピーター・)スタストニーはNHLでもトップ中のトップ。日本リーグに来た外国人選手もNHLのトップの選手もいましたが、スタストニーほどのすごさは感じませんでした。100%以上の力を出して走り、抑えなければ何もできないという感覚は、この3人でした。
  1. 注8 ピーター・スタストニー:1956年9月18日生まれ。チェコスロバキア代表として世界選手権に4回出場し、金メダル2回(1976、1977)、銀メダル2回(1978、1979)獲得。オリンピックは1980年のレークプラシッド大会に出場した。またスロバキア代表として、1994年のリレハンメルオリンピック、1995年の世界選手権Bプールに出場。NHLは1980-1981シーズンから1994-1995シーズンまでケベック・ノルディックス、ニュージャージー・デビルス、セントルイス・ブルースでプレーした。
  2. 注9 アントン・スタストニー:1959年8月5日生まれ。チェコスロバキア代表として世界選手権に1回出場し、銀メダル1回(1978)獲得。オリンピックは1980年のレークプラシッド大会に出場した。NHLは1979エントリードラフトでケベック・ノルディックスから4巡目(全体で83位)指名を受け1980-1981シーズンから1988-1989シーズンまでケベックでプレーした。
  3. 注10 ピーター・ボンドラ:1959年8月5日生まれ(ウクライナ)。スロバキア代表として世界選手権に2回出場し、金メダル1回(2002)、銅メダル1回(2003)獲得。オリンピックは1998年の長野大会と2006年のトリノ大会に出場した。NHLは1990エントリードラフトでワシントン・キャピタルズから8巡目(全体で156位)指名を受け1990-1991シーズンから2006-2007シーズンまでワシントン、オタワ・セネタース、アトランタ・スラッシャーズ、シカゴ・ブラックホークスでプレーした。

第1版:2026年3月15日・記

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