2000-2001シーズン

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2000-2001シーズン

【2000-2001総括】

日本のアイスホッケー界の中心的存在の日本リーグ。第9回以降、6チームで構成されていましたが、2000-2001シーズンは2チームが廃部や活動停止に追い込まれ、チーム減となる可能性も生じて日本のアイスホッケー界が未曾有の危機に見舞われました。
第35回日本リーグ開幕を4日後に控えた(2000年)9月26日、雪印が2000-2001シーズン限りでの廃部を発表しました。廃部理由は食中毒事件に端を発した経営悪化に伴う再建策の一環でした。会社として受け入れ先を探すことになりました。
さらに古河電工の廃部を受けて誕生した日光アイスバックス。その母体企業である栃木アイスホッケークラブが、11月30日に今季限りでの運営撤退を明らかにしました。恒常的な資金不足に苦しみ、資金難に直面しての撤退(廃部)表明でした。
雪印とアイスバックスが日本リーグから姿を消すとなると、日本リーグは4チームとなってしまい、存亡や存在価値などが問われてしまう事態です。アイスバックスの廃部発表を受け、日本アイスホッケー連盟(JIHF)も緊急オーナー会議開催を決定。12月6日に日本リーグ6チームのオーナー(オーナー代理を含む)やJIHF理事、日本リーグ運営委員が集まり会議が行われました。日本リーグの今後について話し合われ、委員会をつくり問題点を解決すること。さらに2001-2002シーズンも日本リーグは6チームで行う方向であることが確認されました。
チームの受け入れ先や継続が形にならなかった場合、日本リーグは4チームになってしまいます。その場合、存続が可能なのか。また消滅した場合のマイナスの影響は図り知れず、最悪の事態が生じることも否定できませんでした。このような事態を避けようと関係者の努力が続けられたことは言うまでありません。その結果、アイスバックスは新会社を設立し、来るべく新シーズンへ備え始めました。また雪印の受け皿チームも必ずしも順風満帆と行きませんでしたが、6月になると新チーム設立の動きが出てきました。日本リーグがどうなるのか予断はできません。しかし、怪しい雲行きではなく光明が差しはじめ状況で2001-2002シーズンに向かって動き出しました。

日本リーグのチームの選手でほぼ構成されている男子日本代表。昨シーズン(1999-2000シーズン)の1次予選敗退によりソルトレークシティオリンピックの道は閉ざされてしまいましたが、2006年のトリノオリンピック出場権へ向けて新たなるスタートを切ることになりました。その第一歩は2001世界選手権(トップディビジョン・旧Aプール)の極東予選でした。男子日本代表は韓国、中国に勝ち世界選手権出場権を獲得しました。本番の世界選手権では白星を挙げることはできませんでしたが、ノルウェーに3-3と引き分けて98年のトップディビジョンに出場以来4回目にして初の勝点をマークしました。
女子日本代表は2002ソルトレークシティオリンピック最終予選でのオリンピック出場権獲得と、2001世界選手権ディビジョン1(旧Bプール)で優勝が最大目標でした。結果はオリンピック出場権を逃し、ディビジョン1でも優勝をすることはできませんでした。
男女ともトリノオリンピックを目指すことになり、代表チームの編成も若手に切り替わりました。その象徴が男子では福藤豊選手と、女子では平野由香選手でした。福藤選手は18歳、平野選手は14歳。ともに史上最年少の代表選手の誕生でした。
ジュニア日本代表ですが、U20代表は2001世界U20選手権ディビジョン1(旧Cプール)で2位、U18代表は2001世界U18選手権ディビジョン1(旧Bプール)で3位と、優勝は逃したものの上位進出を果たしました。

表彰関係では昨シーズンは堤義明会長が国際アイスホッケー連盟(IIHF)の殿堂入りを果たしましたが、堤会長に続き、片岡勲常務理事が札幌・長野の両オリンピック実施に尽力したことが高く評価され、ポール・ロイック賞をアジア人として初めて受賞しました。

【2000-2001評議員・役員】

評議員 任期:1999(平成11)年7月-2001(平成13)年6月
石井一男、岩瀬久春、大山石松、栗林延次、西田理、原田清治、引木孝夫、村上一元、松田一男、伊藤昭一郎、土方文生、荒井進、伊澤平一、佐藤憲保、堀口卓司郎、入江淳夫、高橋弘、小川原則正、藤井秀宣、岩崎博志、垣原功、格地啓方、鄭大和、山本昭仁、園部正敏、福田典夫、京谷佳明、監物鉱三、杉田秀夫、日沖裕策、加藤政明、山崎良二、室橋快男、穴場隆志、小谷直通、黒田成司、藤村治夫、岡本昌三、菱沼征夫、畠中耕司、木下嘉博、渡辺等、仲谷善助、花見守、諏訪守一、芳野俊、藤懸敏治、八木真、久米正秀、簗瀬研一、成松峰則、有澤駒雄、古賀正治、鈴木亮、山田満、桑原正彦、井原誠、黒木誠一郎、大迫仁哉、砂川隆禧、小池嘉紀、藤野文雄、中野浩一

役員(理事・監事) 任期:1999(平成11)年7月-2001(平成13)年6月
会長 堤義明
副会長 田名部匡省、冨田正一
専務理事 冨田正一
常務理事 遅塚研一、片岡勲
理事 稲垣芳則、植木孝、大越孝彌、金谷輝雄、君塚晉、小松雄介、新川秀雄、鈴木孝則、清野勝、高橋(冨岡)明、田中幸元、千葉哲夫、萩原文男、吹越明徳、藤井忠光、桝川順司、宮崎康文、途中退任:指方幸子(2000年6月迄)、途中選任:徳岡肇(200年7月から)
監事 島田繁、塚本芳治

【2000-2001日本代表】

2002ソルトレークシティオリンピック出場権を逃し、2006トリノオリンピック出場を目指すことになった男子日本代表。2001-2002シーズンの始動となったのは、2000年9月4日から6日まで札幌で開催された2001世界選手権極東予選兼アジアカップでした。この大会では初代表9人の若手を起用。GKとして代表入りした福藤豊選手は東北高校3年。大学在学中に日本代表入りすることもまれであった時代(当時)、高校生で日本代表するのは例がありませんでした。福藤選手は試合出場の機会はなかったものの代表レベルを肌で感じ取りました。大会結果ですが、韓国に8-1、中国に5-3で勝ち、世界選手権(トップディビジョン)出場権を獲得しましたが、内容的には多くの課題を残しました。
2001世界選手権(旧Aプール)は2001年4月28日から5月13日までドイツ・ニュルンベルクなどで開催。予選リーグでスロバキア、フィンランド、オーストリアと対戦しました。スロバキアに4-8、フィンランドに0-8と世界のトップクラスとは力差を見せつけられた日本代表でしたが、オーストリアに1点及ばず2-3と惜敗。13-16位決定戦に回りました。下位ラウンド初戦のノルウェー戦。勝つことはできなかったものの3-3と引き分けて歴史的勝点1をマークしました。続くラトビアに2-8、ベラルーシに1-4で敗れて目標としていた「トップディビジョンでの1勝」を挙げることはできませんでした。しかし、着実にレベルアップしており、「トップディビジョンでの1勝」が現実味を帯びてきた結果を残しました。

日本ジュニアU20代表は2000年12月30日から2001年1月3日までリトアニアで行われた2001世界U20選手権ディビジョン2(旧Cプール)に参加しました。試合方式はこれまで同様、参加8チームを4チームずつの2グループに分けて予選リーグを行い、各組同順位同士が順位決定戦を行いました。予選リーグ初戦のハンガリーに14-0と圧勝した日本U20代表。デンマークに6-4、クロアチアに6-0と3戦全勝で予選A組を1位で通過してロベニア(B組1位)との決戦に臨みました。日本は試合終了1分40秒で6人攻撃を仕掛け1点差まで詰め寄りましたが、3-4で敗れて2位に終わり、3年ぶりのディビジョン1(旧Bプール)への復帰を果たすことはできませんでした。

日本ジュニアU18代表は2001年3月26日から4月1日までラトビアで行われた2001世界U18選手権ディビジョン1(旧Bプール)に参加しました。試合方式は参加8チームを4チームずつ2グループに分け1回総当たりの予選リーグを行い、各グループ上位2チームと下位2チームに分かれ決勝リーグと下位リーグを行い、順位を決定しました。
予選リーグ(A組)で、デンマークに4-2、北朝鮮に11-2と2勝したもののベラルーシに2-3と惜敗して2勝1敗の2位で上位リーグ戦へ駒を進めました。上位戦ではオーストリアに3-3、ラトビアに5-2で、1位・ベラルーシ、2位・オーストリアに続いてU18ディビジョン1では初の銅メダルを獲得しました。

女子日本代表は8月の夏季強化合宿と11月の秋季強化合宿を経て、2002ソルトレークシティオリンピック出場権をかけた最終予選を迎えました。2001年2月8日から11日までスイス・エンゲルブルグで行われた開催された最終予選。参加4チーム中2位以上がソルトレークシティオリンピック行きの切符を手にすることができました。初戦のドイツ戦、敗色濃厚から試合終了32秒前の同点ゴールで3-3と引き分けました。第2戦のカザフスタン戦。過去カザフスタンに負けたことがありませんが、2-5とまさかの敗戦となり、出場権の自力獲得がなくなりました。そして迎えた最終スイス戦。スイス戦の前に行われたカザフスタン対ドイツ戦でカザフスタンが勝利してカザフスタンは勝点4でオリンピック行きが決定。ドイツは勝点3止まり。日本がスイスに勝てば勝点3にドイツと並び、直接対決で引き分けているため、得失点差、総得点によって決まります。日本が2位になり、オリンピック行きの切符を手にするには4点差以上での勝利が絶対条件でした。日本は課題の得点力不足から最後の詰めを欠き2-2の引き分けとなり、オリンピック出場は夢と消えました。
オリンピック最終予選から約1カ月後の3月20日から25日までフランスで開催された2001世界女子選手権ディビジョン1(旧Bプール)に参加しました。トリノオリンピック出場権獲得を目指し若返りを図りました。平均年齢18.5歳、14歳から23歳までのフレッシュなメンバー構成で、その内6人初代表でした。特に菅野朝子選手と平野由香選手は14歳の中学生の代表入りでした。試合方式は参加8チームを4チームずつの2グループに分けて予選リーグを行い、各組同順位同士が順位決定戦を行いました。初戦のフランス戦を3-3、第2戦の北朝鮮に4-4と2試合引き分けに終わった日本女子代表。3戦目のデンマークに3-1と勝ったもの予選A組の1位通過は厳しい状況でした。しかし、北朝鮮がフランスに勝ったため日本が1位通過となり、B組1位のスイスとの決勝戦へ進出しました。スイスとの決勝戦では1点が遠く、1-2で敗れ2位に終わりました。

ユニバーシアード日本代表は日本リーガー5人、大学生17人で編成し、2001年2月7日から17日までポーランドで行われた第20回冬季ユニバーシアードに参加しました。参加9チームを5チームと4チームの2組に分けて予選リーグを行い、その後、順位決定戦が行われました。日本は予選リーグでカナダに3-4、スロバキアに0-6と2敗、ポーランドに2-2、韓国に3-3と引き分け、2分2敗で順位決定戦へ進み、アメリカに8-4で勝ち7位で大会を終えました。

【2000-2001主なJIHF主催大会】

第68回全日本選手権Aグループ(2001年1月12日~14日@札幌・月寒体育館)

前回までとは異なり日本リーグ6チームのトーナメント。各試合は一発勝負で勝ち上がりが決まりました。前回1位の王子製紙と同2位のコクドはシードされ、1回戦は西武鉄道対日光アイスバックス、日本製紙クレインズ対雪印が対戦。西武が3-0、日本製紙4-1で勝ち上がりました。準決勝の西武対王子は西武が王子の追撃を振り切り5-4で決勝へ。コクド対日本製紙は4-2でコクドが勝ち進みました。決勝戦は点の取り合いになりましたが、西武のクリス・ブライトが試合終了29秒前に決勝ゴールを挙げて6-4で勝利。21大会ぶり7度目の優勝を成し遂げました。

第35回全日本選手権Bグループは2001年2月23日から25日まで札幌・月寒体育館で13チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は八戸市庁がタダノを3-2で破り5年ぶり4回目の優勝を果たしました。

第20回全日本女子選手権Aグループ(2001年2月28日~3月4日@北海道・帯広)

前回同様、前回大会の成績をもとに順位決定予備戦を行い、勝者4チームが上位リーグへ、敗者4チームが下位リーグに進み、各リーグで順位を決める方式で行われました。上位決定予備戦は前回の上位チームが順当に勝ち上がり、上位リーグは六花亭ベアーズ(前回1位)、岩倉ペリグリン(同2位)、コクドレディース(同3位)、札幌バッカーズ(同5位)に、下位リーグは八戸レッズ(同6位)、御影グレッズ(同7位)、釧路大進ベアーズ(B1位)、香椎シルキーズ(B2位)になりました。
前回は六花亭ベアーズが得失点差「1」のわずかの差で初優勝を飾りました。しかし、今回の六花亭ベアーズは札幌バッカーズに17-2、岩倉ペリグリンに3-1、コクドレディースを4-2と無傷の3連勝2連覇を達成しました。

第5回全日本選手権Bグループは2001年3月2日から4日まで群馬・伊香保で16チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は積水ハウスがトヨタシグナスを3-2で破り、2回目の優勝をするとともにAグループへの昇格を決めました。

第35回日本リーグ(レギュラーリ―グ:2000年9月30日~2001年3月11日・6チーム8回総当たり/プレーオフ・セミファイナル:2001年3月17日~25日・5試合3戦先勝方式/プレーオフ・ファイナル:2001年3月31日~4月8日・5試合3戦先勝方式)

第35回日本リーグを迎えるにあたり、開幕直前に雪印が今シーズン限りでの廃部決定を発表。11月には日光アイスバックスの母体企業が今季限りの運営撤退を発表するなど、混沌した状況下で日本リーグは行われました。
レギュラーリーグは序盤から白星を重ねたコクドが途中もたつくこともありましたが1位で通過。以下2位・王子製紙、3位・雪印、4位・日本製紙クレインズ、5位・西武鉄道、6位・日光アイスバックスとなり、4位までがプレーオフ・セミファイナルへ進出しました。

コクド対日本製紙のセミファイナルは、日本製紙の攻撃を封じたコクドが3連勝。雪印対王子のセミファイナルは5戦までもつれましたが、チーム一丸の象徴として髪を金色に染めた雪印が3勝2敗で勝ち上がりました。
コクド対雪印のファイナル。第1戦は5-1、第2戦は9-1とコクドが圧勝。第3戦では雪印らしさが見られたものの4-3でコクドが勝利。3連勝で2シーズンぶりに覇権を奪回しました(通算10回目の優勝)。

第56回国民体育大会(2001年1月27日~31日@山梨・甲府、富士吉田、河口湖)

成年の部は28都道府県が参加して決勝戦で北海道が青森を3-1で破り2年連続27回目の優勝を果たしました。少年の部では14都道府県が参加して決勝戦で北海道が神奈川を11-0で破り13年連続51回目の優勝を成し遂げました。今国体は初日に記録的大雪のため、スケジュール変更や一部順位決定戦が中止になり、アウトドアリンクでの試合開催の課題が如実になりました。

第6回全日本オールドタイマー大会(2001年4月14日~15日@宮城・仙台)

10チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は青森県シニアと宮城オールドタイマーズが対戦。青森県シニアが9-0で勝ち、2連覇(2回目の優勝)を達成しました。

第73回日本学生氷上競技選手権・インカレ(2001年1月6日~9日@北海道・釧路)

30校が参加。決勝戦は2回戦で苫小牧駒澤、準々決勝で明治、準決勝で日本大を破った東洋と、2回戦で京都産業、準々決勝で立命館、準決勝で中央を破った法政が2年連続で対戦。1点を争うシーソーゲームを展開して東洋が1点差を守り抜き(5-4)、6年連続7回目の優勝を果たすとともに、春の関東大学選手権、秋の関東大学リーグの覇権とあわせ3冠を達成しました。

第50回全国高校選手権・インターハイ(2001年1月22日~25日@山梨・富士吉田、河口湖、甲府)

26校が参加。決勝は2回戦で水戸短大附属、準々決勝は釧路江南、準決勝で苫小牧東を破り8連覇を目指す駒大苫小牧と、2回戦で渋川工業、準々決勝で武相、準決勝で八戸工大一を破った白樺学園が対戦しました。1ピリに2点を連取した駒大苫小牧が白樺学園の反撃を1点で止め、3-1で破り8年連続20回目の優勝を成し遂げました。

第21回全国中学校アイスホッケー大会(2001年2月4日~6日@八戸・新井田)

16チームが参加して行われました。決勝は1回戦で日光、準々決勝で東京都選抜、準決勝で苫小牧和光を破った釧路鳥取と、1回戦で神奈川県選抜、準々決勝で日光東、準決勝で八戸第一を破った釧路北が対決。釧路鳥取が6-3で勝利して2年ぶり7回目の優勝を飾るとともに、全道大会との2冠を達成しました。

第25回全日本少年アイスホッケー大会(2001年3月28日~30日@長野・軽井沢)

小学生の部
12チームが参加。釧路選抜は2回戦で東京都選抜、準決勝で札幌選抜を破り決勝進出。苫小牧選抜は2回戦で神奈川県選抜を、準決勝で帯広選抜を破り決勝へ進出してきました。決勝では釧路選抜が4-2で勝利して2年ぶり8回目の優勝を飾りました。

中学生の部
12チームが参加。2回戦で帯広選抜、準決勝で長野県選抜を破った釧路選抜と、2回戦で東京都選抜、準決勝で札幌選抜を破った苫小牧選抜との間で行われました。決勝では釧路選抜が苫小牧選抜を6-3で破り、2年連続15回目の優勝を成し遂げました。

第3回インライン全日本選手権Aプール(2000年9月8日~10日@横浜)

Aプール決勝はブラッド・ウィズ・ギアと東京トルネードスで争われ、ブラッド・ウィズ・ギアがGWS戦の末、初優勝を飾りました。

【その他の大会・出来事】

3度目のNHL日本公式開幕戦「2000NHL日本公式開幕戦GAME One JAPAN」開催

2000年10月7、8日、さいたまスーパーアリーナで、「2000NHL日本公式開幕戦」が行われました。対戦カードはピッツバーグ・ペンギンズ対ナッシュビル・プレデターズの2試合。NHLのスーパースターの一人、ヤロミール・ヤーガー選手のプレーなど、世界のトッププレーを堪能しました。

第1版:2026年6月2日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 平成12年-平成13年 第20号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 2000年11月号、2000-2001年12月号&1月号、2001年2月号、2001年6&7月号(発行:ベースボール・マガジン社)
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