2001-2002シーズン

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2001-2002シーズン

【2001-2002総括】

2000-2001シーズン限りで廃部となった雪印。受け皿チームの誕生はトントン拍子には進みませんでした。チーム設立の目途は立ちませんでしたが、来るシーズンへ向けて選手たちはスタッフ不在ながら2001年6月にはトレーニングをスタートしました。その努力は実り、8月には受け皿チームとなる札幌アイスホッケークラブの登記が完了。9月にはチーム名も「札幌ポラリス」と決まりました。監督には岩倉や西武鉄道で活躍した中村等氏が就任しました。
また、2001年11月に運営会社が運営から撤退を発表し、存続が危惧された日光アイスバックスも高橋健次氏が運営会社の社長に就任してチーム存続となりました。その結果、第36回日本リーグは6チームで戦いが繰り広げられました。
日本リーグの日程が消化されていた一方で、シーズンが深まるとともに、来シーズンの日本リーグに札幌ポラリスが参戦できるのかが危惧され始めました。ポラリスを支援していた雪印が来季は支援しないことをチームに伝えたのでした。リーグ終了後に行われたオーナー会議で、札幌ポラリスからチーム継続の課題として「資金と人事」に絞られていることが伝えられ、参加問題は5月末までをタイムリミットに設定されました。その後、このタイムリミットは6月のオーナー会議まで延長されました。
迎えた2002年6月19日のオーナー会議で、札幌ポラリスが2002-2003シーズンの第37回日本リーグへの参加を断念することが報告されました。同時に第38回日本リーグ以降に復帰することを目指し、運営会社を存続させ、資金集めを行っていくことになりました。

札幌ポラリスの参加問題とあわせて、同日のオーナー会議ではロシア・ハバロフスクのクラブチーム「サモロドフ」の日本リーグへの参加問題も検討されました。サモロドフサイドからの日本リーグ参加の打診はオーナー会議の数日前のことでした。しかも19日のオーナー会議で結論を出すことを求められていました。オーナー会議では合意を得ることはできませんでした。しかし、「第37回日本リーグ参戦は無理でも、カップ戦などの交流を続け、第38回日本リーグ以降の参戦を検討」との意向を、日本リーグ運営委員会などは持っていました。サモロドフの日本リーグ参加問題は、引き続き、検討することになりました。

日本アイスホッケー連盟(JIHF)では体制が変わりました。新体制では、1991年から専務理事を務めた冨田正一氏が副会長に。さらに常務理事であった遅塚研一氏と片岡勲氏も副会長となり、これまでの田名部匡省副会長に3人が加わり、副会長が4人となりました。冨田氏が副会長となったため空席となった専務理事には、強化畑を中心に活動していた清野勝氏が就任しました。
日本は男女とも出場できなかった2002ソルトレークシティオリンピックにおいて、冨田副会長がIOCからオリンピック・オーダーを受賞しました。苦しいシーズンであった中、明るいニュースでした。

男子日本代表は中国・ハルビンで開催された2002世界選手権極東予選兼2001アジアカップに参加。韓国に1-1とまさかの引き分け後、中国に3-1で勝利。韓国対中国が引き分けに終わり(0-0)、世界選手権出場権を獲得しました。2002世界選手権では1次リーグ、下位リーグとも3戦全敗(通算6敗)で白星を挙げることはできませんでした。しかし、長野オリンピック・チャンピオンで世界選手権3連覇中であったチェコと3-5と大善戦を演じました。
女子はオリンピックイヤーのため世界選手権が開催されませんでした。夏季合宿では18歳以下を対象に、普及の意味合いを兼ね実施。冬季合宿は2003冬季アジア大会1次選考を兼ねて行われました。
ジュニア日本代表の内、U20代表は2002世界U20選手権ディビジョン2(旧Cプール)で全勝の快進撃で優勝し、ディビジョン1昇格を果たしました。U18代表は2001世界U18選手権ディビジョン1(旧Bプール)で1勝1敗2分、得失点差で最下位の7位に終わりましたが、来シーズンはディビジョン1がA・Bの2グループの12チーム(それぞれ6チームずつ)に増えるため残留しました。

大会参加ではありませんが、初の試みとしてアンダー16(16歳以下)を対象とした5日間の夏季合宿を開催しました。北海道、東北、関東、甲信越の中学3、2年生66人が参加しました。

【2001-2002評議員・役員】

評議員 任期:2001(平成13)年7月-2003(平成15)年6月
石井一男、岩瀬久春、大山石松、栗林延次、工藤末志、原田清治、鈴木孝則、村上一元、松田一男、伊藤昭一郎、土方文生、荒井 進、伊澤平一、佐藤憲保、堀口卓司郎、山本久男、菱沼正幸、高橋 弘、小川原則正、藤井秀宣、岩崎博志、小松雄介、清水邦和、菊地俊和、三浦 勲、園部正敏、福田典夫、輿石 仁、監物鉱三、杉田秀夫、石黒正彦、加藤政明、山崎良二、吉岡秀文、穴場隆志、渡辺文喜、鈴木 治、薮 任作、三ツ野隆夫、菱沼征夫、木下嘉博、渡辺 等、日野耕太郎、花見 守、大津健次、芳野 俊、藤懸敏治、八木 真、久米正秀、簗瀬研一、成松峰則、高谷 勉、田中幸元、鈴木 亮、田中元臣、桑原正彦、井原 誠、今泉恒雄、大迫仁哉、砂川隆禧、田中一宏、藤野文雄、中野浩一

役員(理事・監事) 任期:2001(平成13)年7月-2003(平成15)年6月
会長 堤義明
副会長 田名部匡省、冨田正一、遅塚研一、片岡勲
専務理事 清野勝
常務理事 植木孝、君塚晉
理事 石井澄、大越孝彌、金谷輝雄、黒木誠一郎、新川秀雄、高橋啓二、千葉哲夫、寺坂昭則、徳岡肇、高橋(冨岡)明、中村慎、吹越明徳、松浦徹、宮入純、宮崎康文
監事 島田繁、桝川順司

【2001-2002日本代表】

男子日本代表は2001年10月15日から17日まで、日本、韓国、中国が参加して中国・ハルビンで行われた2002世界選手権(トップディビジョン・旧Aプール)の極東予選を兼ねた2001アジアカップに出場しました。初戦の韓国に1-1とまさかの引き分け。負ければ(世界選手権)トップディビジョンでの戦いが途切れるため、勝利が絶対条件の中国戦は3-1と勝利。世界選手権出場権獲得は最終戦の中国対韓国戦の結果待ちとなりました。中国対韓国は0-0の引き分けに終わり、薄氷を踏んだ末に世界選手権出場権を獲得しましました。苦戦の要因は、けが人が続出してメンバー変更を余儀なくされたことが一つに挙げられました。また、今までも指摘されていた得点力不足が課題として残りました。
2002年4月26日から5月11日までスウェーデンで開催された2002世界選手権に出場しました。予選リーグでドイツ、チェコ、スイスと対戦。ドイツ戦は2-9と点差はもちろん内容も褒められたものではありませんでした。しかし、第2戦のチェコ戦では見違える動きを見せました。1ピリを1-0とリードを奪い、さらに3ピリ序盤まで3-3と粘りを見せました。最後はチェコの前に3-5で敗れましたが、GK菊地直哉選手のビッグセーブをはじめ、攻守がかみ合った日本。長野オリンピック・チャンピオンで、世界選手権3連覇中で、ヤロミール・ヤーガー選手を擁するチェコを本気にさせる戦いを繰り広げたのでした。第3戦のスイス戦、1ピリは互角の戦いでしたが2ピリに突き放され1-5と敗れて13-16位リーグに回りました。スロベニアに3-4、イタリアに2-6、ポーランドに2-5と敗れて悲願の1勝は手にするとことはできませんでした。

U20男子代表は2001年12月30日から2002年1月3日までクロアチアで行われた2002世界U20選手権ディビジョン2に参加しました。試合方式はこれまで同様、参加8チームを4チームずつの2グループに分けて予選リーグを行い、各組同順位同士が順位決定戦を行いました。予選リーグ初戦のハンガリーに7-2と一蹴。クロアチアに9-1、リトアニアにも9-3と勝利してB組を1位通過。A組1位のデンマークと優勝をかけて戦いました。攻守ともデンマークを圧倒し、5-2で勝利するとともにディビジョン1への昇格を決めました。ディビジョン1入りは1997-1998シーズン以来になりました。

U18男子代表は2002年3月23日から29日までスロベニアで開催された2002世界U18選手権ディビジョン1に参加しました。試合方式は参加7チームを4チームと3チームの2グループに分けて予選リーグを行い、各組上位2チームが準決勝へ、下位の3チームが下位リーグに回りました。日本は予選リーグで、スロベニアに4-4、デンマークに4-6、ラトビアに2-2と2分1敗。あと1点が奪えず下位リーグに回りました。下位リーグではイタリアに4-3と接戦をものにして大会初勝利を挙げました。しかし、得失点差で最下位に終わりました。通常なら最下位になるとディビジョン2へ降格となるところでしたが、来シーズンは参加構成チーム数が12チームに増えるため、ディビジョン1に残留となりました。

【2001-2002主なJIHF主催大会】

第69回全日本選手権Aグループ(2002年1月12日~14日@東京・国立代々木競技場)

前回同様、日本リーグ6チームによるトーナメント戦。前回1位の西武鉄道と同2位のコクドがシードされ、1回戦は王子製紙対札幌ポラリス、日本製紙クレインズ対日光アイスバックスが対戦。王子が3-0、日本製紙が5-1で1回戦を突破しました。準決勝の王子対西武は4-2で王子が接戦を制しました。コクド対日本製紙はサドンデス方式の延長戦を3-2で制したコクドが勝ち上がりました。王子対コクドの決勝は、2ピリに3点を奪った王子が、攻撃力の復活と堅守で失点を防ぎ、5-2でコクドを下して2年ぶり33回目の優勝を飾りました。

第36回全日本選手権Bグループは2002年2月15日から17日まで日光で15チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は釧路厚生社が6-5で日本製紙勇払工場を破り初の栄冠を手にしました。

第21回全日本女子選手権Aグループ(2002年3月13日~17日@青森・三沢)
第21回全日本女子選手権Aグループ(2002年3月13日~17日@青森・三沢)

前回同様、前回大会の成績をもとに順位決定予備戦を行い、勝者4チームが上位リーグへ、敗者4チームが下位リーグに進み、各リーグで順位を決める方式で行われました。順位決定予備戦の結果、上位リーグは六花亭ベアーズ(前回1位)、コクドレディース(同2位)、岩倉ペリグリン(同3位)、Daishin(同5位)に、下位リーグは札幌バッカーズ(同4位)、御影グレッズ(同6位)、八戸レッズ(同7位)、積水ハウス(B1位)になりました。
上位リーグは大混戦。2試合を終えて4チームが1勝1敗で並び、覇権の座は最終日に争われました。最終日、六花亭ベアーズはコクドベアーズに3-1で勝ち、六花亭ベアーズは勝点4、コクドレディースは勝点2、岩倉ペリグリンはDaishinに5-1で勝ち、岩倉ペリグリンは勝点4、Daishinは勝点2。岩倉ペリグリンと六花亭ベアーズは勝点で並びましたが、直接対決で岩倉ペリグリンは六花亭ベアーズに2-1で勝っているため、3年ぶり11回目の優勝を成し遂げました。2位は六花亭ベアーズ。3位は勝点2でDaishinとコクドレディースが並びましたが、直接対決でDaishinが3-2で勝っているため、3位・Daishin、4位・コクドレディースとなりました。

第36回日本リーグ(レギュラーリーグ:2001年11月3日~2002年3月10日・6チーム8回総当たり/プレーオフ・セミファイナル:2002年3月14日~17日・3試合2戦先勝方式/プレーオフ・ファイナル)2002年3月20日~26日・5試合3戦先勝方式)

雪印の廃部、日光アイスバックスの運営母体会社の撤退など、日本リーグ6チーム体制が維持されるのか否か、昨シーズン終了から今シーズンの開幕前まで第36回日本リーグは揺れ動きました。しかし、開幕までに雪印の後継チームとして札幌ポラリスが誕生。また日光アイスバックスも新体制でチームが存続した結果、6チームで行われました。
6チーム体制は維持されましたが、これまでの日本リーグとは大きく変わりました。まず試合日程ですが、近年は9月末か10月早々の開幕でしたが、例年より1カ月遅い11月3日が開幕になりました。開催地は原則、ホーム&アウェイ方式に変更はありませんが、3チームが集まる「ミニ集結」が新設され、地方開催も増えました。

試合方式は、レギュラーリーグは引き分けがなくなり完全決着となりました。今までは3ピリ終了時点で同点の場合、10分間のサドンデス方式の延長戦を行い、決着が付かなければ引き分けとしてきました。それが3ピリで同点の場合、5分間のサドンデス延長戦を行い、それでも決着が付かなければPS戦で白黒をつける完全決着になりました。これに伴い、勝点も2(60分&延長勝利)、1.5(PS勝利)、1(延長&PS敗戦)、0(60分敗戦)になりました。プレーオフもこれまでは3ピリ終了時点で同点の場合、20分間のサドンデス延長戦を行い、決着が付かなければPSで勝負を決めてきました。それが3ピリで同点の場合、20分間のサドンデス延長戦を行い、決着が付くまで延長戦を繰り返すことになりました。
外国人・日系人選手も、外国人選手登録は1チーム1名になり、日系人選手枠がなくなりました。但し第35回日本リーグに登録されて未帰化の日系人選手は日本人選手扱いとなりました。
新規イベントも実施されました。開幕前には前夜祭を開催。さらに、初めてオールスターゲームも1月19、20日に行われました。さらに、各チームの選手やスタッフが小学生を対象にした「キッズキャンプ」を全国13カ所で開催しました。

11月3日に開幕したレギュラーリーグ。前回の覇者・コクドが開幕直後に8連敗するなど状態は最悪。運上一美監督が全日本選手権終了後に辞任する緊急事態になりました。レギュラーリーグを1位で通過したのは攻守がかみ合った日本製紙クレイズ。以下、2位・西武鉄道、3位・王子製紙、4位・コクド、5位・札幌ポラリス、6位・アイスババックスとなりました。

コクド対日本製紙、西武対王子の対戦となったセミファイナルは、コクドと西武が2連勝でファイナルへ勝ち上がりました。コクド対西武のファイナル。西武が第1戦(8-4)と第3戦(4-1)、コクドが第2戦(6-2)と第4戦(4-2)を制して最終戦で雌雄を決しました。両チーム一歩も譲らず2-2のまま延長戦に突入。最後はコクドの二瓶太郎選手が決勝弾を決めて3-2で勝利。4位からの下剋上を果たし2年連続11回目の日本リーグの覇権を手にしました。

第7回全日本オールドタイマー大会(2002年4月13日~14日@宮城・仙台)

11チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は青森県シニアとUGLY DUCKSが対戦。青森県シニアが6-4で勝ち、3年連続3回目の優勝を達成しました。

第57回国民体育大会(2002年1月26日~30日@北海道・帯広、清水、浦幌)

成年の部は28都道府県が参加して決勝戦で東京が北海道を7-1で破り3年ぶり19回目の優勝を果たしました。少年の部では14都道府県が参加して決勝戦で北海道が埼玉を7-1で破り14年連続52回目の優勝を成し遂げました。

第74回日本学生氷上競技選手権・インカレ(2002年1月5日~9日@群馬・伊香保ほか)

30校が参加。決勝戦は1回戦で苫小牧駒澤、2回戦で大東文化、準々決勝で中央、準決勝で早稲田を破った明治と、2回戦で日本体育、準々決勝で東北福祉、準決勝で青山学院を破った法政が対戦。春の関東大学選手権、秋の関東大学リーグを制し、インカレをあわせた3冠達成を目指した法政を明治が4-0で破り、7年ぶり23回目の大学日本一に就きました。

第51回全国高校選手権・インターハイ(2002年1月21日~24日@北海道・帯広、清水町)

28校が参加。決勝は2回戦で武相、準々決勝は清水、準決勝で八戸工大一を破り9連覇を目指す駒大苫小牧と、2回戦で北海、準々決勝で十勝江陵、準決勝で釧路工業を破った白樺学園が対戦しました。先手を奪った駒大苫小牧が白樺学園の反撃を1点で止め、4-1破り9年連続21回目の優勝を成し遂げました。

第22回全国中学校アイスホッケー大会(2002年2月4日~7日@山梨・富士吉田、甲府)

16チームが参加して行われました。決勝は1回戦で神奈川県選抜、準々決勝で軽井沢、準決勝で八戸第一を破った釧路鳥取と、1回戦で千葉県選抜、準々決勝で宮城県選抜、準決勝で延長戦の末に釧路美原を破った苫小牧明倫が対決。釧路鳥取が10-2で勝利して2年連続8回目の優勝を飾りました。

第26回全日本少年アイスホッケー大会(2002年3月29日~31日@長野・軽井沢)

小学生の部
12チームが参加。釧路選抜は2回戦で栃木県選抜、準決勝で青森県選抜を破り決勝進出。苫小牧選抜は2回戦で東京都選抜を、準決勝で帯広選抜を破り決勝へ進出してきました。決勝では釧路選抜が4-2で勝利して2年連続9回目の優勝を飾りました。

中学生の部
12チームが参加。2回戦で青森県選抜、準決勝で北信越東海選抜を破った釧路選抜と、1回戦で栃木県選抜、2回戦で札幌選抜、2回戦で苫小牧選抜を破り勝ち上がった宮城県選抜を準決勝で破った帯広選抜との間で行われました。決勝では釧路選抜が帯広選抜を3-2で破り、3年連続16回目の優勝を成し遂げました。

第4回インライン全日本選手権Aプール(2001年9月14日~16日@青森・県営スケート場)

Aプール決勝はツアートルネードスとチームハードで争われ、ツアートルネードスが2回目の優勝を飾りました。

【その他の大会・出来事】

ソルトレークシティオリンピック

2002年2月9日から24日までアメリカで開催されたソルトレークシティオリンピック。
長野オリンピックに続いてNHLプレーヤーが参加した男子の出場枠は14チーム。長野オリンピック同様カナダ、アメリカ、ロシア、スウェーデン、チェコ、フィンランドの6チームはシードされ、決勝リーグ(C組とD組)からの参加。予選ラウンドでは残りの8チームを2つの組(A組とB組)に分け、それぞれの1位が決勝リーグに進出。決勝リーグでは8チームを2つの組に分けて1回総当たりのリーグ戦を行い、決勝トーナメントの対戦カードを決めました。予選ラウンドを勝ち上がったのはドイツとベラルーシ。この2チームを含めた決勝リーグの順位は、C組は1位・スウェーデン、2位・チェコ、3位・カナダ、4位・ドイツ、D組は1位・アメリカ、2位・フィンランド、3位・ロシア、4位・ベラルーシとなりました。
準々決勝ではベラルーシがスウェーデンを4-3、ロシアがチェコを1-0、カナダがフィンランドを2-1、アメリカがドイツを5-0で破り準決勝へ進出。準決勝はカナダがベラルーシを7-1、アメリカがロシアを3-2で破り、カナダとアメリカとの間で頂上決戦が行わることになりました。決勝ではカナダがアメリカを5-2で破り、1952年スイス・サンモリッツ大会以来7回目の金メダルを獲得しました。以下最終順位は2位・アメリカ、3位・ロシア、4位・ベラルーシ、5位・スウェーデン、6位・フィンランド、7位・チェコ、8位・ドイツ、9位・ラトビア、10位・ウクライナ、11位・スイス、12位・オーストリア、13位・スロバキア、14位・フランスでした。

女子は参加8チームを4チームずつ2グループに分けて1回総当たりリーグ戦を行い、上位2チームずつが準決勝へ、下位2チームずつが順位決定トーナメントに回りました。予選A組は1位・カナダ、2位・スウェーデン、3位・ロシア、4位・カザフスタン、同B組は1位・アメリカ、2位・フィンランド、3位・ドイツ、4位・中国となり、カナダ、スウェーデン、アメリカ、フィンランドが準決勝に進出しました。準決勝ではカナダがフィンランドを7-3、アメリカがスウェーデンを4-0で破り、決勝へ駒を進めました。決勝ではカナダが3-2と接戦を制して長野オリンピックの雪辱を果たし、金メダルを獲得しました。以下、2位・アメリカ、3位・スウェーデン、4位・フィンランド、5位ロシア、6位・ドイツ、7位・中国、8位・カザフスタンとなりました。

2002長野カップ(2002年2月1日〜3日@長野・ビッグハット)

スイス、ロシア、日本が参加して行われた2002長野カップ。日本の試合結果と大会結果は次の通りです。
日本 6-3 ロシア<1P(2-0)2P(2-1)3P(2-2)>
スイス 4-1 日本<1P(1-0)2P(3-0)3P(0-1)>
1位:スイス(2勝)
2位:日本(1勝1敗)
3位:ロシア(2敗)

第1版:2026年6月2日・記

<主な参考文献>
日本アイスホッケー年鑑 平成13年-平成14年 第21号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 2001年10月号、2001-2002年12月&1月号、2002年3月号、2002年6月号&7月号、2002年10月号(発行:ベースボール・マガジン社)
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