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2002-2003シーズン
【2002-2003総括】
2001-2002シーズンが終わろうとしていた2003年6月、札幌ポラリスの2002-2003シーズンの第37回日本リーグ参加断念が決まりました。一方、ロシア・ハバロフスクのクラブチーム「サモロドク」が日本リーグへの参加意向があることが明らかになり、日本アイスホッケー連盟(JIHF)や日本リーグオーナー会議、日本リーグ運営委員会などで検討されました。
サモロドクが参加することに全面的に反対はありませんでしたが、法的問題やリーグ組織の問題など、クリアしなければならないことが多岐に及ぶため、「第37回日本リーグの参加は難しい。カップ戦などを行い、第38回日本リーグからの参加を検討」との意向を日本リーグ運営員会などは持っていました。JIHFも7月には冨田正一副会長と清野勝専務理事がハバロフスクへ足を運び視察をするとともにサモロドクのオーナーであるビクトル・ロパチェク氏と会談し、「第37回日本リーグの参戦はできないものの、カップ戦など40試合ほどの試合を組んで交流開始」で一旦は合意しました。しかし、サモロドクサイドから試合数増の要望が出せれ、日程作成など具体的な活動が止まりました。結果として、カップ戦など40試合ほどの試合が行われることはなく、2002-2003シーズンのサモロドクとの濃厚な交流は流れました。
サモロドク・チームを紹介しますと……。サモロドクのオーナーはロパチェク氏。ロシアのトップリーグであるスーパーリーグに所属するHCアムールのオーナーでもあります。ロパチェク氏はHCアムール、そのファームチームがサモロドク。さらにもう1チーム、アムール2も所有。サモロドクがロシア国内の下部リーグで優勝し、その上のリーグに昇格し、ロシア全土に及ぶ試合が避けられなくなりました。ロシアの東端のハバロフスクからの遠征を考えると経費が膨大になります。また対戦チームもハバロフスクまでの遠征費がかかります。そこで日本リーグに白羽の矢が立ったと思われました。
サモロドクの参加は途絶え、5チーム覇権が争われた第37回日本リーグ。レギュラーリーグ4位のコクドがプレーオフを制し、3連覇を果たしました。
覇権以外では日本リーグ開幕前には一部新聞紙が「西武鉄道が廃部、コクドに吸収」を伝えました。チームがどうなるのか。その結末は、第37回日本リーグ終了後の2003年3月29日に行われた「西武鉄道ファン感謝デー」で戸田博之オーナーから「今シーズンをもって活動を終了します」とあいさつがあり、西武37年の活動の幕が下りました。古河や雪印のように、西武を受け継ぐチームが誕生するか否かは不明でしたが、この時点で、日本リーグは4チーム体制となりました。
この状況を受け、韓国を含めた「新リーグ」創設の動きが活発化したのでした。
世界に目を向けると、イラク戦争やSARS(サーズ)の問題が懸念されていました。実際のところ、2003年4月4日から9日まで中国・北京で開催予定の2003世界女子選手権(トップディビジョン)はサーズのため中止となりました。
このシーズンでは女子日本代表には大きな影響はありませんでした。しかし、トップディビジョンの開催前に行われた2003世界女子選手権ディビジョン1-Aで優勝しトップでビジョン昇格を決めた女子日本代表。次シーズンの2004世界女子選手権(トップディビジョン)は8チームから9チームで行われることとなり、女子日本代表に影響がないわけではありませんでした。
女子日本代表は、第5回冬季アジアで初めて中国を破り2位。さらに前述の通り、2003世界女子選手権ディビジョン1-Aで優勝を果たしました。好結果の要因としては若手の成長とベテラン勢の頑張りが挙げられました。特に長野オリンピック後、1度は引退したGK小田由香選手の復帰が大きかったと言えました。
男子日本代表は監督が辻占スティーブンケン氏からティモ・トゥオミ氏に代わりました。新体制で戦った第5回冬季アジア大会で初の金メダルを獲得しました。当時、夏冬のアジア大会で団体競技の唯一金メダル獲得でした。その成果が評価され、文部科学省、JOCから男子日本代表は特別賞を受賞しました。冬季アジア大会の勢いに乗って世界選手権で初の1勝を目指しましたが、スロベニアに引き分けたものの、白星を挙げることはできませんでした。
ジュニア日本代表としては、U20代表は2003世界U20選手権ディビジョン1-Aで2位。U18代表は2003世界U18選手権ディビジョン1-Aで5位に終わりました。
U16世代は夏にハバロフスク遠征を実施してアムールジュニアと4試合行い2勝2敗の成績でした。
各世代が世界と戦うのに合わせるかのように、トップリーグの選手たちもプレーの場を海外に求めました。北米にその場を求めたのは鈴木貴人選手(FW)と福藤豊選手(GK)。ヨーロッパに渡ったのは八幡真選手と桑原ライアン春男選手(ともにFW)でした。鈴木選手はECHLのシャーロット・チェッカーズ、福藤選手はECHLのシンシナティ・サイクロンズでプレー。八幡選手はフランスリーグのミュルーズ、桑原選手はBISLのベルファスト・ジャイアンツでプレーしました。これまでの海外チャレンジのほとんどが、所属チームがバックアップし留学先はUBCやチェコなどの1年間の海外留学でした。
【2002-2003評議員・役員】
評議員 任期:2001(平成13)年7月-2003(平成15)年6月
石井一男、岩瀬久春、大山石松、栗林延次、工藤末志、原田清治、鈴木孝則、村上一元、松田一男、伊藤昭一郎、土方文生、荒井 進、伊澤平一、佐藤憲保、堀口卓司郎、山本久男、菱沼正幸、高橋 弘、小川原則正、藤井秀宣、岩崎博志、小松雄介、清水邦和、菊地俊和、三浦 勲、園部正敏、福田典夫、輿石 仁、監物鉱三、杉田秀夫、石黒正彦、加藤政明、山崎良二、吉岡秀文、穴場隆志、渡辺文喜、鈴木 治、薮 任作、三ツ野隆夫、菱沼征夫、木下嘉博、渡辺 等、日野耕太郎、花見 守、大津健次、芳野 俊、藤懸敏治、八木 真、久米正秀、簗瀬研一、成松峰則、高谷 勉、田中幸元、鈴木 亮、田中元臣、桑原正彦、井原 誠、今泉恒雄、大迫仁哉、砂川隆禧、田中一宏、藤野文雄、中野浩一
| 会長 | 堤義明 |
|---|---|
| 副会長 | 田名部匡省、冨田正一、遅塚研一、片岡勲 |
| 専務理事 | 清野勝 |
| 常務理事 | 植木孝、君塚晉 |
| 理事 | 石井澄、大越孝彌、金谷輝雄、黒木誠一郎、新川秀雄、高橋啓二、千葉哲夫、寺坂昭則、徳岡肇、高橋(冨岡)明、中村慎、吹越明徳、松浦徹、宮入純、宮崎康文 |
| 監事 | 島田繁、桝川順司 |
【2002-2003日本代表】
4シーズンにわたって采配を振るった辻占スティーブンケン氏からティモ・トゥオミ氏に監督が代わった男子日本代表。2003年2月2日から7日まで青森・八戸で開催された第5回冬季アジア大会に臨みました。予選リーグでタイに39-0、中国に15-0と圧勝して準決勝に進出。韓国との準決勝も11-2と圧倒してカザフスタンとの決勝対決へ進みました。先手を奪った日本は2ピリに1点差まで迫られましたが、大城ジョエルディック選手のキルプレーでの追加点で流れを引き寄せて7-2と完勝。冬季アジア大会初の金メダルを獲得しました。なお、この大会は2003世界選手権の極東予選を兼ねており、日本が出場権を獲得しました。
2003年4月26日から5月11日までフィンランドで開催された2003世界選手権。予選リーグでドイツ、スロバキア、ウクライナと対戦しました。ドイツ戦は立ち上がりからの3連続失点が重くのしかかり、3ピリの追撃も1点及ばず4-5と惜敗。第2戦のスロバキアは2ピリに大量失点して1-10。そして第3戦のウクライナは1ピリ終盤の失点から流れをつかめず、1-5で敗れ下位リーグに回りました。下位リーグ初戦のベラルーシ、ロースコアの戦いとなりましたが1-3と敗戦。続くスロベニア戦。先手を奪い3ピリ途中まで3-1と2点のリードを奪いましたが、2点のリードを守り切れず3-3ドロー。そしてアメリカとの最終戦。2ピリ途中まで1-3と粘りを見せましたが、1-8で敗れて白星を挙げることはまたもできませんでした。
女子日本代表は2003年1月30日から2月5日まで青森・三沢で開かれた第5回冬季アジア大会に参加しました。1回総当たりリーグ戦で順位を決める方式で行われ、韓国に21-0、北朝鮮に6-1と2連勝スタート。カザフスタンに先取点を奪ったものの1-3と逆転負け。最終戦の中国戦、4-4の同点で迎えた3ピリ17分過ぎに決勝点を挙げ5-4で勝利して銀メダルを獲得しました。銀メダル獲得以上に、これまで16戦して一度も勝てなかった中国から白星を挙げた価値ある1勝でした。
冬季アジア大会ではカザフスタンに敗れた女子日本代表。そのリベンジの時は1カ月後に訪れました。2003世界女子選手権ディビジョン1が2003年3月9日から15日までラトビアで開催されました。カザフスタン、チェコ、フランス、ラトビア、北朝鮮、そして日本の6チームが総当たりリーグ戦で対戦しました。日本は北朝鮮に6-2、フランスに2-1、チェコに8-3、ラトビアに5-0と4連勝。カザフスタンもフランスに引き分けたものの、他の試合は3勝と、優勝とトップディビジョンへの昇格は日本対カザフスタンの直接対決に委ねられました。日本は攻守がかみ合い2-0と完封勝ち。全勝優勝で2002年以来のトップディビジョン復活を決めました。
U20男子代表は2002年12月27日から2003年1月2日までカザフスタンで行われた2003世界U20選手権ディビジョン1-Aグループに参加しました。今回から試合方式が変更になり、ディビジョン1は12チームを6チームずつA・Bグループに分け総当たりリーグ戦を行い、各グループの1位がトップディビジョンに昇格、最下位がディビジョン2に降格することになりました。つまりA・Bグループに上下関係はなく同格ということになりました。初戦のウクライナに1-3と黒星発進となりましたが、第2戦のフランスに4-2、第3戦のクロアチアに9-1、第4戦のイタリアに4-2、最終戦のカザフスタンに6-2と4連勝。ウクライナに勝点1及ばず、金メダルへあと一歩の銀メダルに終わりました。
U18男子代表は2003年3月23日から29日までラトビアで開催された2003世界U18選手権ディビジョン1-Aグループに参加しました。U20と同様に今回から試合方式が変更となり、ディビジョン1は12チームを6チームずつA・Bグループに分け総当たりリーグ戦を行い、各グループの1位がトップディビジョンに昇格、最下位がディビジョン2に降格することになりました。つまりA・Bグループに上下関係はなく同格ということになりました。
日本は初戦のラトビアに1-1の引き分けたもの、第2戦のスロベニアに2-7、第3戦のドイツに1-4、第4戦のデンマークに1-4と3連敗してディビジョン2への降格のピンチに立たされました。しかし、最終戦のイギリスに10-3と大勝して降格を逃れました。
ユニバーシアード日本代表はオール大学生22人で編成して2003年1月15日から25日までイタリアで行われた第21回冬季ユニバーシアードに参加しました。参加11チームを5チーム(Aグループ)と6チーム(Bグループ)の2組に分けて予選リーグを行い、その後、順位決定戦が行われました。日本は予選リーグB組でカナダに1-8、チェコに1-6、イタリアに2-3、フィンランドに0-5と負けましたが、アメリカに7-4で勝ち、1勝4敗で9-10位決定戦へ進み、中国に10-0で勝ち、9位で大会を終えました。
インライン日本代表は2002年7月21日から27日までドイツ・ニュルンベルグなどで行われた2002インライン世界選手権に参戦しました。ヨーロッパから10チーム、南北アメリカから4チーム、アジア・オセアニアから2チームの16チームが参加しました。予選リーグは4チームずつ4グループに分けて行われ、各組上位2チームが1-8位のAプールへ、下位2チームは9-16位のディジョン1に回りました。日本は予選D組で、チリに22-3と勝ったものの、スウェーデンに1-14、スロバキアに5-9で敗れ、ディビジョン1に回りました。ディビジョン1の4チームずつのリーグ戦で、ハンガリーに3-2、ブラジルに9-4で勝ち、ディビジョン1の準決勝へ進出。準決勝のニュージーランドに10-3で勝ち、同決勝に駒を進めました。ハンガリーとの決勝は6-9で敗れ、ディビジョン1のタイトルを獲得することはできませんでした。最終順位は次の通りです。
1位・スウェーデン、2位・フィンランド、3位・ドイツ、4位・チェコ、5位・アメリカ、6位・スロバキア、7位・スロベニア、8位・オーストリア。ディビジョン1(D1)-1位・ハンガリー、D1-2位・日本、D1-3位・ニュージーランド、D1-4位・イギリス、D1-5位・ブラジル、D1-6位・アルゼンチン、D1-7位・ベルギー、D1-8位・チリ。
【2002-2003主なJIHF主催大会】
第70回全日本選手権Aグループ(2003年1月10日~13日@札幌・真駒内屋内競技場)
前回の日本リーグ参加チームのみで行われていたのを改め、将来のオープン化を視野に、出場枠を広げて日本リーグ5チームに加え、明治大学、早稲田大学、関西学生選抜、釧路厚生社の4チームが参加。9チームによるトーナメント方式で行われました。当初、今大会の参加資格は、日本リーグ参加5チーム、前回の全日本選手権Bグループ(第36回大会)の1位(釧路厚生社)と2位(日本製紙勇払)の2チーム、昨シーズンのインカレ(第74回大会)の1位(明治大)、2位(法政大)、3位(早稲田大)の3チーム、昨季のインターハイ(第51回大会)の1位(駒大苫小牧高校)、それと関西学生選抜の12チームが持っていました。日本リーグ以外の社会人チームが参加するとなると、第50回大会の八戸ナショナル以来、大学勢の参加は第63回の明治大と東洋大学以来、そして、高校の出場は第40回大会(駒大苫小牧高)以来となるところでした。日本製紙勇払は「全日本選手権Bグループの予選のため」、法政大は「インカレやユニバーシアードのため」、駒大苫小牧高は「翌週にインターハイがあるため」出場を避退しました。
関西学生選抜1は回戦で日光アイスバックスと対戦。2回戦では明治大は日本製紙クレインズに、釧路厚生社は西武鉄道に、早稲田大学がコクドにチャレンジする形になりました。現状、日本リーグ勢と他のチームとでは力差があることは否定できません。実際、関西学生選抜は1-6、明治大は0-9、釧路厚生社は0-7、早稲田大は0-9と日本リーグ勢の前に敗れ去りました。アイスバックスと王子製紙の2回戦は王子が5-2と勝利。その結果、準決勝は西武対王子、コクド対日本製紙となり、西武が5-1、コクドが2-0で勝って決勝へ進出。決勝は0-0のまま両チーム譲らず延長戦に突入。ジョエル・パーピック選手のサヨナラゴールでコクドが4年ぶり8回目の優勝を手にしました。なお、コクドのGK二瓶次郎選手は全試合(3試合)完封の史上初の快挙を成し遂げ、MVPも獲得しました。
第37回全日本選手権Bグループは2003年2月28日から3月1日まで軽井沢で14チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は釧路厚生社が吉田産業を4-2で破り前回大会に続き連覇を達成しました(通算2回目の優勝)。
第22回全日本女子選手権Aグループ(2003年2月19日~23日@釧路)
前回同様、前回大会の成績をもとに順位決定予備戦を行い、勝者4チームが上位リーグへ、敗者4チームが下位リーグに進み、各リーグで順位を決める方式で行われました。順位決定予備戦は前回の上位チームが順当に勝ち上がり、上位リーグは岩倉ペリグリン(前回1位)、六花亭ベアーズ(同2位)、Daishin(同3位)、コクドレディース(同4位)に、下位リーグは札幌バッカーズ(同5位)、御影グレッズ(同6位)、八戸レッズ(同7位)、トヨタシグナス(B1位)になりました。
上位リーグ戦は4チームの力が拮抗して一部の試合を除き1、2点を巡る攻防を展開。それでも岩倉ペリグリンと六花亭ベアーズが2戦2勝で覇権を賭け最終日に激突しました。先手を奪った岩倉ペリグリンが3ピリに突き放して4-2で勝利。2年連続12回目の優勝を飾りました。
第7回全日本女子選手権Bグループは2003年2月14日から16日まで日光で16チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝はレディースラビッツがレッドトレジャーを5-2で破り、優勝とともにAグループへの昇格を決めました。
第37回日本リーグ(レギュラーリーグ:2002年10月5日~2003年3月9日・5チーム8回総当たり/プレーオフ・ブロンズラウンド:2003年3月12、13日・レギュラーリーグ3位対同4位/プレーオフ・シルバーラウンド:2003年3月15、16日・レギュラーリ―グ2位対ブロンズラウンド勝者/プレーオフ・ファイナル:2003年3月18日~25日・レギュラーリーグ1位対シルバーラウンド勝者)
第36回日本リーグに参加した札幌ポラリスが2002年6月に第37回日本リーグでの不参加を発表したことにより、第8回リーグ以来29年ぶりに5チームによる戦いとなった日本リーグ。レギュラーリーグは8回総当たりのリーグ戦で行われ、大きな変更はありません。しかし、プレーオフはレギュラーリーグの成績がこれまで以上に重視されることになりました。まずレギュラーリーグ3位対同4位のブロンズラウンド。2試合の勝者が次のラウンドへ進みますが、2勝した場合はそのまま。1勝1敗となった場合は得失点差の上位チーム、それも同じ場合はレギュラーリーグ3位チームが勝ち上がります。次のシルバーラウンドは、レギュラーリーグ2位とブロンズラウンド勝者が対戦。勝ち上がり方式はブロンズラウンドと同様で行われました。そして、レギュラーリーグ1位とシルバーラウンドの勝者が対戦するファイナル。ファイナルは5試合3戦先勝方式で行われました。プレーオフでは3ピリ終了時点で同点の場合、20分間のサドンデス方式の延長戦が行われ、決着が付くまで延長も続きました。但し、ブロンズラウンドとシルバーラウンドでは得失点差の関係で、第2戦で延長戦が行われない場合もありました。
レギュラーリーグ開幕前、一部新聞紙が「西武鉄道が廃部、コクドに吸収」を伝えました。「西武はどうなるのか、日本リーグの行方は」など、チームの戦いとは別に、チームやリーグの動向などが揺れ動く中、レギュラーリーグは進みました。レギュラーリーグは廃部騒動で揺れ動いた西武が、攻守がかみ合い1位通過。以下2位・王子製紙、3位・日本製紙クレインズ、4位・コクド、5位・日光アイスバックスの順でした。
日本製紙対コクドのプレーオフ・ブロンズラウンド。第1戦は3-1でコクド、第2戦が3-2で日本製紙が勝ち、1勝1敗のタイでしたが、得失点差でコクドが勝ち上がりました。
王子対コクドのプレーオフ・シルバーラウンド。第1戦はコクドが5-3で勝利。2点差での決着が第2戦の終盤の戦い方につながりました。第2戦、3ピリ終盤まで3-2でリードした王子。勝ち上がるにはあと1点が不可欠でした。そのため、6人攻撃のタイミングは計り、19分過ぎに仕掛けました。しかし、コクドに同点ゴールを奪われ引き分け。1勝1分でコクドがファイナル進出を決まました。
レギュラーリーグ1位の西武対シルバーラウンド勝者のコクドのファイナル。第1戦は4-2でコクド、第2戦は4-2で西武、第3戦は3-2でコクド、第4戦は2-1で西武がものにして2勝2敗で覇権の行方は最終決戦(第5戦)までにもつれました。2,500人を超える観衆が見守る中、コクドが4-0で西武を下して「レギュラーリーグ4位からの下剋上」を達成。3連覇を成し遂げました(通算12回目の優勝)。
試合とは別に昨季同様、各種イベントも行われました。レギュラーリーグ開幕前には「オープニングフェスタ」。閉幕後には「クロージング・フェスタ」が行われました。また第2回オールスターゲームも苫小牧で開催し、国際リーグ構想実現に向け韓国リーグベスト6の選手も参加しました。さらに、キッズキャンプも昨季に続いて実施されました。
第8回全日本オールドタイマー大会(2003年4月19日~20日@宮城・仙台)
10チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は3連覇中の青森県シニアとUGLY DUCKSが前回大会に続き激突。青森県シニアが15-3と快勝し、4連覇(通算4回目の優勝)を達成しました。
第58回国民体育大会(2003年1月25日~29日@群馬・高崎、伊香保)
成年の部は28都道府県が参加して決勝戦で北海道が群馬を12-2で破り2年ぶり28回目の優勝を果たしました。少年の部では14都道府県が参加して決勝戦で埼玉が北海道を4-3で破り初優勝。少年の部の優勝としては、埼玉が北海道、青森、栃木に続く4道県目となりました。
第75回日本学生氷上競技選手権・インカレ(2003年1月6日~9日@苫小牧・白鳥アリーナほか)
30校が参加。決勝戦は2回戦で苫小牧駒澤、準々決勝で東海、準決勝で大東文化を破った明治と、2回戦で八戸、準々決勝で東洋、準決勝で早稲田を破った法政が対戦。明治が5-2で2年連続24回目の優勝を成し遂げました。
第52回全国高校選手権・インターハイ(2003年1月20日~24日@群馬・伊香保)
駒大苫小牧が10連覇を成し遂げるのか。それとも阻止する高校が現れるのか。「駒大苫小牧の10連覇」の行方に注目が集まった今大会は25校が参加。決勝にコマを進めたのは2回戦で埼玉栄、準々決勝は八戸工大一、準決勝で白樺学園を破った釧路緑ヶ岡。もう一校は2回戦で苫小牧東、準々決勝をGWSで日光を下し、準決勝では駒大苫小牧を延長戦後のGWSの末に破った釧路工業でした。決勝は2ピリに先手を奪った釧路緑ヶ岡が釧路工業の反撃を1点で止めて4-1で破り、19年ぶり2回目の優勝を成し遂げました。
10連覇を目指した駒大苫小牧は準決勝で敗退。1994年1月21日に第43回インターハイ決勝で釧路江南に勝利してから、今大会の釧路工業に敗れる前日(2003年1月21日)まで、3,288日間守り通してきた「高校日本一の座」を明け渡しました。王座転落と同時に、第43回大会の初戦から続けてきたインターハイの連勝記録も38連勝でストップになりました。
第23回全国中学校アイスホッケー大会(2003年2月9日~11日@帯広・帯広の森アイスアリーナ)
16チームが参加して行われました。決勝は1回戦で宮城県選抜、準々決勝で東京都選抜、準決勝で八戸第一を破った釧路鳥取と、1回戦で日光、準々決勝で軽井沢、準決勝で苫小牧明野を破った釧路北が対決。「釧路対決」は鳥取が5-4で勝利して3年連続9回目の優勝を飾りました。
第27回全日本少年アイスホッケー大会(2003年3月28日~30日@北海道・苫小牧)
小学生の部
12チームが参加。釧路選抜は2回戦で宮城県選抜、準決勝で北信越東海選抜を破り決勝進出。苫小牧選抜は2回戦で神奈川県選抜を、準決勝で青森県選抜を破り決勝へ進出してきました。決勝では釧路選抜が6-2で勝利して3年連続10回目の優勝を飾りました。
中学生の部
12チームが参加。2回戦で神奈川県選抜、準決勝で札幌選抜を破った釧路選抜と、1回戦で大阪府選抜、2回戦で長野県選抜、準決勝で帯広選抜を破った苫小牧選抜との間で行われました。決勝では釧路選抜が苫小牧選抜を5-4で破り、4年連続17回目の優勝を成し遂げました。
第5回インライン全日本選手権Aプール(2002年8月14日~16日@青森・県営スケート場)
Aプール決勝はツアートルネードスとミッションハスキーズで争われ、ツアートルネードスが9-4で勝ち、2年連続3回目の優勝を飾りました。
【その他の大会・出来事】
IIHFアジア・オセアニア地区強化キャンプ
2002年7月19日から26日まで、日本、中国、韓国、オーストラリア、ニュージーランド、チャイニーズタイペイ、香港、モンゴル、タイ、シンガポール、インドの11の国と地域から選手はもちろん、コーチやレフェリーなどが参加して長野・軽井沢で国際アイスホッケー連盟(IIHF)アジア・オセアニア地区強化キャンプがアジア・オセアニア地区の普及を最大のテーマとして行われました。参加人数は150人を超える大キャンプでした。
ヤングリーグ開幕
スポーツ振興くじ(toto)助成金の交付を受け新設されたヤングリーグが2002年9月27日に開幕。ヤングリーグは中学校と高校の枠組みに関係なく15歳から17歳まで(中学3年から高校2年)の選手を対象に、道東、道央、道南の選抜チームが、2003年2月14日まで5回総当たりで対戦しました。最終順位は次の通りです。
1位:道東 7勝3敗 勝点14(道南との当該成績で3勝2敗のため上位)
2位:道南 7勝3敗 勝点14
3位:道央 1勝9敗 勝点2
第1回レディースサマーカップ(河渕務杯)
2002年7月31日から8月3日まで帯広で開催された第1回レディースサマーカップ。トリノオリンピックを目指して新設された大会でした。岩倉ペリグリン、六花亭ベアーズ、Daishin、札幌バッカーズ、御影グレッツ、レッドトレジャーズの6チームが参加しました。決勝は岩倉ペリグリンと六花亭ベアーズが対戦。サドンデス方式のPS戦の結果、岩倉ペリグリンが優勝しました。
2003長野カップ(2003年2月9日~11日@長野・ビッグハット)
2003年2月9日から11日までチェコ、カナダ、フィンランド、日本の4チームが参加し、長野ビッグハットで2003長野カップ(長野オリンピック記念国際大会)が開かれました。各国の成績・順位並びに日本の試合結果は次の通り。
1位:チェコ 3勝0分0敗 得点19 失点8 勝点4
2位:カナダ 1勝1分1敗 得点10 失点10 勝点3
3位:フィンランド 1勝1分1敗 得点6 失点9 勝点3
4位:日本 0勝0分3敗 得点5 失点13 勝点0
フィンランド 3-1 日本<1P(1-1)2P(2-0)3P(0-0)>
チェコ 7-2 日本<1P(0-0)2P(2-0)3P(5-2)>
カナダ 3-2 日本<1P(1-0)2P(1-2)3P(1-0)>
第1版:2026年6月2日・記
- <主な参考文献>
- 日本アイスホッケー年鑑 平成14年-平成15年 第22号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 2002年10月号、2003年2月号、2003年4月&5月号(発行:ベースボール・マガジン社)