- 更新日
2003-2004シーズン
【2003-2004総括】
2003-2004シーズン、日本アイスホッケー連盟(JIHF)は新体制で迎えることになりました。15期30年にわたって会長を務めた堤義明氏に代わり、専務理事や副会長としてサポートしてきた冨田正一氏が新たな会長に就任しました。
トップリーグである日本リーグは昨シーズンをもって西武鉄道が廃部となり、コクドに合併されました。その結果、コクドの一員としてプレーする選手がいる一方で、プレーの場を他のチームに求めた選手もいました。第38回日本リーグは4チームによるレギュラリーグ(前後期制)とその勝者同士によるプレーオフ制で実施されました。前後期の両方を制してプレーオフが行われずにコクドが4連覇を達成しました。コクドの優勝で幕を閉じた第38回日本リーグ。日本リーグが産声を上げたのは1966年11月15日。この日、王子製紙対古河電工の試合が行われました。その時から38年、日本リーグは日本のトップリーグとして、男子日本代表の強化に直結して幾多の名プレーヤーを生んできました。さらに日本のアイスホッケー界の中心的存在でもありました。第38回日本リーグ終了後の2004年7月8日、アジアリーグ2004-2005記者発表の場で冨田JIHF会長が「日本リーグは休止」と表明。日本リーグは第38回をもって幕を閉じ、2004-2005シーズン以降はその役割はアジアリーグへ委ねることになりました。
第38回日本リーグの前期終了後の後期開幕までの一時休止期間で、韓国のハルラを加えたアジアリーグが行われました。初代チャンピオンには、日本製紙クレインズがその座に就きました。アジア地域において国境を越えて国際リーグは他の競技でもほとんど例がなく、マスコミからも注目されました。
男女日本代表はともに世界選手権トップディビジョンに出場してトップディビジョンでの初勝利・残留を目標に強化をしました。
男子は1998年から続いてきたトップディビジョンの「極東枠」がチェコで開催された2004世界選手権がラストになりました。初勝利・残留を目指しましたが、下位リーグで2引分(1敗)の15位に終わり、ディビジョン1降格となりました。男子同様、今シーズンより導入された世界ランキングで15位となり、2005年2月に開催される2002トリノオリンピック最終予選への出場はできるようになりました。
女子はカナダで開かれた2004世界女子選手権に出場。9位に終わりディビジョン1降格となりました。しかし、世界ランキングにより2004年11月に行われるトリノオリンピック最終予選でオリンピック出場権獲得を目指すことになりました。
男女とも来る2004-2005シーズンが、トリノオリンピック出場が決まる大事なシーズンになりました。
男子の世界選手権が開催中の2003年5月6日、メーン会場で国際アイスホッケー連盟(IIHF)ホール・オブ・フェイム(殿堂)入り授与式が行われました。今回、河渕務氏(北海道アイスホッケー連盟会長、元JIHF副会長)が、1999年に堤義明・前JIHF会長(現・名誉会長)以来、日本人として2人目の殿堂入りを果たして表彰されました。河渕氏の長年の啓示的努力、情熱による功績が認められたものでした。
2003年6月27日にはビッグニュースが北米から飛び込んできました。NHLエントリードラフトで、コクドの福藤豊選手がロサンゼルス・キングスから8巡目(全体で238位)指名されたのでした。日本人のドラフト指名は1992年の三浦浩幸選手以来2人目のことでした。
【2003-2004評議員・役員】
評議員 任期:2003(平成15)年7月-2005(平成17)年6月
石井一男、板橋 亨、大山石松、栗林延次、石橋弘次、原田清治、桝川健一、村上一元、松田一男、谷上 淳、冨樫博之、荒井 進、伊澤平一、佐藤憲保、堀口卓司郎、山本久男、菱沼正幸、高橋 弘、小川原則正、藤井秀宣、宮崎宜廣、清水邦和、原田 博、雪ノ浦清、安保隆一、長谷川清、福田典夫、輿石 仁、監物鉱三、杉田秀夫、石黒正彦、杉本憲繁、山崎良二、吉岡秀文、穴場隆志、渡辺文喜、鈴木 治、薮 任作、三ツ野隆夫、菱沼征夫、木下嘉博、渡辺 等、日野耕太郎、藤野純一、大津健次、芳野 俊、藤懸敏治、八木 真、久米正秀、簗瀬研一、本多善造、高谷 勉、田中幸元、鈴木 亮、田中元臣、桑原正彦、井原 誠、齋藤豊光、大迫仁哉、砂川隆禧、高村文武、鈴木利大、中野浩一
| 会長 | 冨田正一 |
|---|---|
| 副会長 | 田名部匡省、遅塚研一、片岡勲 |
| 専務理事 | 清野勝 |
| 常務理事 | 植木孝、君塚晉 |
| 理事 | 大越孝彌、金谷輝雄、黒木誠一郎、斎藤竜志、新川秀雄、高橋啓二、千葉哲夫、土田忠、徳岡肇、冨岡明、中村慎、信田憲司、吹越明徳、福田弥夫、松浦徹、途中選任:坂井寿如(2004年7月から) (理事待遇:福田公孝) |
| 監事 | 島田繁、桝川順司 |
【2003-2004日本代表】
2003-2004シーズンの男子日本代表は2回の監督交代がありました。2003年7月にティモ・トゥオミ氏が退任。後任には西武鉄道のコーチや「辻占ジャパン」のコーチなどを務めたグレン・ウィリアムソン氏が就任しました。ウィリアムソン体制となった男子日本代表は、2003年8月26日から9月1日まで、釧路で日本リーガーと大学生の35名を集め代表選考合宿を実施。2004世界選手権極東予選代表メンバー25人が選ばれました。2003年9月6日に行われた極東予選は韓国に相手に4-1で勝利し7シーズン連続しての世界選手権トップディビジョン出場を決めました。その後、男子日本代表は、11月にはU23の代表チームを編成してハバロフスク遠征を実施。そして、2003年12月24日から2004年1月8日まで「SAMURAI TOUR」と銘打って北米遠征を行いました。帰国後の2月には長野カップ2004に参戦。本番である2004世界選手権に向け強化を進めました。
ところが本番前にウィリアムソン氏からマーク・マホン氏に代表監督が交代し新体制となりました。マホン新監督は2シーズンに渡り日光アイスバックの監督を務めていました。マホン体制となり3月には中国や韓国、ロシアと国際交流試合を行いました。さらに、3月30日から4月5日まではロシア・ハバロフスクで行われたアムールカップに参加して本番である2004世界選手権に備えました。
そして迎えた2004世界選手権。2004年24日から5月9日までチェコ・プラハとオストラバで行われました。男子日本代表にはシーズン前に帰化したブライトクリス選手もメンバー入りを果たし、中心選手としてプレーしました。予選リーグではスウェーデンに1-5で敗戦。勝負どころのデンマーク戦は1点及ばず3-4と惜敗。3戦目のロシアにも1-6で敗れて下位リーグに回ることになりました。下位リーグではウクライナに2-2、カザフスタンに3-5、そしてフランスに2-2と勝点2は奪取したものの白星は上げられず15位に終わりました。1998年のスイス大会から7シーズンにわたってトップディビジョンで戦った男子日本代表。4分32敗と悲願の1勝を挙げることはできず、1度も日の丸が翻ることはありませんでした。今大会で極東枠はなくなり、2004-2005シーズンはディビジョン1が戦いの舞台になりました。
昨シーズン(2002-2003シーズン)の女子日本代表は、過去、一度も勝てなかった中国を冬季アジア大会で破り、その冬季アジア大会で敗れたカザフスタンを2003世界女子選手権ディビジョン1で破り優勝。トップディビジョンへ昇格を決めすなど、好結果を残しました。
今シーズンの最大目標はカナダで2004年3月に行われる2004世界女子選手権。この大会は2006トリノオリンピックの予選を兼ねており、6位まで入ればオリンピック出場権を手にすることができました。
その目標に向かいスタートを切るにあたり新体制で臨むことになりました。監督的立場であった高橋正之コーチが退き、新監督に信田憲司氏が就任。コーチ陣も篠原秀則氏と藤原正則氏が加わり、留任した中島谷友一朗コーチを含めた体制となりました。新体制となり、8月の夏季強化合宿ではトライアウトを実施。全国から100名ほどの申し込みから書類選考で40名ほどに絞り、トライアウトを行いました。その合格者(5名)を加え強化合宿を行いました。12月には中国遠征を行い中国代表と3試合戦いました。さらに2004年1月には北米遠征も実施。クラブチームなどと5試合行い2勝1分2敗でした。
そして迎えた本番の2004世界女子選手権。2004年3月30日から4月6日までカナダ・ハリファックスで開かれました。昨季の世界女子選手権がサーズの影響で中止になったことで、例年の8チームより1チーム多い9チームで戦われました。9チームを3チームずつの3グループに分けて予選ラウンドを行い、各組の同順位ずつが順位決定リーグを戦う方式で行われました。予選ラウンド初戦、スウェーデンに2-8、続くフィンランドには0-1と惜敗してC組最下位となり、7-9位決定ラウンドに回りました。7-9位戦の初戦は中国。中国は前日にスイスに勝っており、日本に勝つと残留決定。すなわち、日本は中国に負けると即、降格が決まる状況でした。日本は2-5で敗れて最終戦を前にディビジョン1への降格が決まりました。最終戦のスイスにも0-4で敗れて最下位に終わりました。
U20男子日本代表は2003年12月13日から19日までフランス・ブリアンソンで行われた2004世界U20選手権ディビジョン1-Aグループに参加しました。U20代表は2003年8月に代表候補選手34人を釧路に集めて夏季強化合宿を実施。その後のヤングリーグをはじめとした国内の各種大会などを通して選ばれたメンバーで臨みました。試合方式は昨季同様、ディビジョン1は12チームを6チームずつA・Bグループに分け総当たりリーグ戦を行い、各グループの1位がトップディビジョンに昇格、最下位がディビジョン2に降格することになりました。初戦は地元フランスに1-4、第2戦はイタリアに1-3、第3戦のノルウェーに1-5、第4戦はエストニアに1-3、そして最終戦のベラルーシに5-7と全敗して最下位となり、ディビジョン2へ降格となりました。全敗の結果でしたが、どの試合も接戦。核となるリーダー不在が敗因の一つと言えました。
U18男子日本代表は2004年3月29日から4月4日までイタリア・アシアゴで行われた2004世界U18選手権ディビジョン1-Bグループに参加しました。今大会を迎えるにあたりU18代表は2003年8月に代表候補34人を釧路に集めてU20の合宿と並行して、夏季強化合宿を実施しました。その後、ヤングリーグに加え2004年2月には「U18ジュニアオールスターゲーム」を開催して代表メンバーを選考、本大会に臨みました。初戦のイタリアに2-1と白星発進。第2戦のドイツには4-11と敗れましたが、第3戦のカザフスタンに2-1、第4戦のフランスに2-0、最終戦の韓国に4-1と勝利。4勝1敗の2位と、トップディビジョン昇格へあと一歩まで迫りました。
U16組は北海道・東北地区強化合宿を2003年8月13日から16日まで北海道・泊村で開催。本州地区の強化合宿は2003年8月26日から29日まで長野・軽井沢で行われました。それぞれの合宿に34人が参加。レベルアップとフェアプレー&リスペクトの精神を学びました。さらに2004年3月末にはカナダ遠征を企画して5試合戦いました。
インライン日本代表は2003年7月12日から20日までドイツ・ニュルンベルグなどで行われた2003インライン世界選手権に参戦しました。大会はヨーロッパから9チーム、南北アメリカから3チーム、アフリカから1チーム、アジア・オセアニアから3チームの16チームが参加して行われました。予選リーグは前回順位をもとにトップディビジョンとディビジョン1の2つに分け、次にそれぞれを4チームずつ2グループ(トップディビジョンはA組とB組、ディビジョン1はC組とD組)に分けて行われました。その後、4グループの順位をもとにしたディビジョン入れ替え戦が行われました。そして各ディビジョンで決勝トーナメントが行われ順位が決まりました。
日本はディビジョン1のD組で予選リーグを戦い、3戦全勝でD組の1位になりディビジョン入れ替え戦へ進出。入れ替え戦ではB組4位のスロベニアに8-9で敗れディビジョン1の決勝トーナメントに回りました。決勝トーナメントでも勝利を重ね、決勝でブラジルを11-6で破りディビジョン1で優勝を飾りました。
【2003-2004主なJIHF主催大会】
第71回全日本選手権(2004年2月11日~15日@札幌・月寒体育館)
前回大会では「オープン化」を見据えて、その第一歩として日本リーグチーム以外にも出権を広げました。今回は日本リーグ4チーム(コクド、日本製紙クレインズ、王子製紙、日光アイスバックス)に加え、各種予選会などを通して参加資格を得た12チームも参加。日本リーグ4チームはシードされ準々決勝からの出場となりましたが、16チームによるトーナメント方式で行われました。1、2回戦の注目は札幌イーガービーバーズの戦いぶりでした。2004-2005シーズンからの日本リーグ参戦を目指して結成され、北海道予選を勝ち上がってきました。札幌イーガービーバーズへの関心は高く、立ち見が出るほどの大観衆が駆け付けて声援がリンクを包みました。日本リーグ勢との対戦となる準々決勝に1、2回戦を勝ち上がったのは釧路厚生社、法政大学、明治大学、そして、札幌イーガービーバーズの4チームでした。4チームにとって日本リーグの壁は厚く、釧路厚生社はコクドに1-3、法政大は日本製紙に1-8、明治大は王子に2-5、札幌イーガービーバーズはアイスバックスに2-7とそれぞれ敗れました。準決勝はコクドが2ピリにアイスバックスに同点とされましたが、その後に突き放して5-2で決勝進出。日本製紙対王子は日本リーグ後期からチーム入りしたコリー・フォスター選手が決勝ゴール(3-2)を決めて日本製紙が13大会ぶりに決勝進出を決めました。決勝は2-2の同点で迎えた第3ピリオド、コクドは鈴木貴人選手、ジョエル・パーピック選手の連続ゴールで日本製紙を突き放し、5-2で2年連続9回前の優勝を達成しました。
第23回全日本女子選手権Aグループ(2004年2月26日~29日@北海道・泊村アイスセンター「とまリンク」)
前回同様、前回大会の成績をもとに順位決定予備戦を行い、勝者4チームが上位リーグへ、敗者4チームが下位リーグに進み、各リーグで順位を決める方式で行われました。順位決定予備戦は前回の上位チームが順当に勝ち上がり、上位リーグは岩倉ペリグリン(前回1位)、六花亭ベアーズ(同2位)コクドレディース(同3位)、Daishin(同4位)に、下位リーグは札幌バッカーズ(同5位)、トヨタシグナス(同6位)御影グレッズ(同7位)、レディースラビッツ(B1位)になりました。
上位リーグは、岩倉ペリグリンは初戦からコクドレディース(5-2)、Daishi(3-1)相手に白星を重ねた一方で、他の3チームは六花亭ベアーズ対Daishinが2-1、六花亭ベアーズ対コクドレディースは4-2、コクドレディース対Daishinは2-1と星をつぶし合いました。結果的には最終戦の岩倉ペリグリン対六花亭ベアーズが女王の座を賭けた一番になり、岩倉ペリグリンが3-0と六花亭ベアーズを零封。3連覇を達成しました(通算13回目の優勝)。
第8回全日本女子選手権Bグループは2004年3月5日から7日まで群馬・伊香保で16チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝は梅田メープルリーフスがレッドドレジャーを3-2で破り優勝とともにAグループ昇格を決めました。
第38回日本リーグ(レギュラーリーグ:前期2003年10月4日~11月9日、後期2004年1月27日~2月29日・前後期それぞれ4チーム4回総当たり/プレーオフ:2004年3月2日~7日・前期1位対後期1位・5試合3戦先勝方式)
西武鉄道が廃部となりコクドと合併。西武を引き継ぐチームはなく、4チームでの戦いとなった第38回日本リーグ。レギュラーリ―グは第30回日本リーグ以来の前後期制で行われました。前後期それぞれ4チームが4回総当たりのリーグ戦、しかも12試合の短期決戦で、前後期それぞれの覇者を決めました。その覇者同士がプレーオフで対戦し、日本リーグのチャンピオンが決まる方式でした。但し、前後期リーグの覇者が同一チームとなった場合はそのチームが完全優勝となり、プレーオフが開催されることはありませんでした。
リーグ開幕を迎えるにあたり、西武がコクドに合併されたことが大きな要因となり、多くの選手が移籍しました。コクドには西武から15人(その後のアイスバックスへのレンタル移籍選手を含む)、王子に西武から1人、日本製紙には西武から1人、コクドから4人(元コクド1人を含む)、アイスバックスには西武から2人、札幌ポラリスから1人が移籍しました。
前期はスタートダッシュとはいかなかったものの、すぐに態勢を立て直して中盤から白星を重ねたコクドが制してプレーオフ出場権を獲得しました。後期はコクド、王子、日本製紙の3チームの覇権争いから日本製紙が脱落。王子が勝点1のリードを保ち、コクド・王子の最終決戦で後期の覇権の行方は決まりました。王子は最終2連戦のどちらかで勝点2をマークすれば、後期を制し、プレーオフ進出権を獲得できました。しかし、2連敗を喫し後期の覇権はコクドの頭上に輝きました。前後期を制したことで、プレーオフなしでコクドが完全優勝。日本リーグ4連覇を達成するとともに13回目の優勝を成し遂げました。日本リーグ優勝13回は王子と並ぶ最多優勝回数。4連覇も王子が第16回から第19回にマークしたのと並ぶ連続優勝回数となりました。
アジアリーグ2003-2004(2003年11月15日~2004年1月18日@釧路、苫小牧、日光、東伏見、新横浜、長野、大津、ソウル)
「アジアの夢、世界へ挑戦」をキャッチフレーズに、日本リーグ4チーム(コクド、王子製紙、日本製紙クレインズ、日光アイスバックス)と韓国のハルラ・ウイニアの5チームで行われたアジアリーグ2003-2004。2003年11月15日から2004年1月18日まで4回総当たりのリーグ戦で覇権を争いました。マスコミの関心は高く、開幕前の監督会見にはテレビカメラをはじめ多数のマスコミが駆け付けました。関心の高さは開幕後も続き、特に日本チーム対ハルラ戦は多くのマスコミが足を運びました。
初代チャンピオンとなる覇権の行方は、中盤から日本製紙とコクドのマッチレース状態。年末の直接対決の結果、日本製紙にマジックナンバーが点灯しました。しかし、日本製紙が年明けのハルラ戦に敗れたため、逆にコクドにマジックナンバーが点灯しました。ところがコクドもハルラに足をすくわれ、残り1試合を前に日本製紙にマジックナンバーが再点灯。最終戦のアイスバックス戦を4-1で勝利して初代チャンピオンに就きました。
第9回全日本オールドタイマー大会(2004年4月10日~11日@兵庫・神戸)
11チームが参加してトーナメント方式で行われました。決勝はUGLY DUCKSと宮城オールドタイマーズが対戦。UGLY DUCKSが9-2で勝ち、2大会連続して決勝で敗れていた無念を晴らすとともに初優勝を飾りました。
第59回国民体育大会(2004年1月28日~2月1日@青森・八戸、三沢、福地)
成年の部は28都道府県が参加して決勝戦で東京が青森を10-5で破り2年ぶり20回目の優勝を果たしました。少年の部では14都道府県が参加して決勝戦で北海道が埼玉を4-1で破り、前回大会の雪辱を果たすとともに2年ぶり53回目の優勝を飾りました。
第76回日本学生氷上競技選手権・インカレ(2004年1月4日~7日@日光・日光霧降アイスアリーナ、細尾ドーム、今市青少年スポーツセンター)
30校が参加。決勝戦は2回戦で関西、準々決勝で日本大、準決勝で東海を破った明治と、2回戦で専修、準々決勝で中央、準決勝で東洋を破った法政が対戦。明治が5-3で3年連続25回目の優勝を成し遂げました。
今大会では試合方式が変更されました。昨季までダブルヘッダーは「2回戦→準々決勝」でしたが、今回は「準々決勝→準決勝」になりました。条件はどの学校も同じですが、対戦カードを考慮すると試合結果に大きな影響を及ぼすことも考えられました。
第53回全国高校選手権・インターハイ(2004年1月22日~25日@岩手・盛岡、石鳥谷)
25校が参加。決勝戦は2回戦で軽井沢、準々決勝は盛岡中央、準決勝は前回大会では準決勝で敗れ10連覇を阻止された釧路工業を破った駒大苫小牧。もう一校は1回戦で八戸商業、2回戦で八戸西、準々決勝で前回の覇者・釧路緑ヶ岡、準決勝で清水を破った埼玉栄でした。決勝は着実に得点を重ね、堅守の駒大苫小牧が8-1で勝利。2年ぶり22回目の優勝を果たしました。
第24回全国中学校アイスホッケー大会(2004年2月8日~10日@群馬・伊香保)
16チームが参加して行われました。決勝は1回戦で神奈川県選抜、準々決勝で東京都選抜、準決勝で八戸第一を破った釧路鳥取と、1回戦で軽井沢、準々決勝で日光、準決勝で群馬県選抜を破った釧路北が2大会連続して決勝で対決。「釧路対決」は鳥取が延長戦の末5-4で制して4年連続10回目の優勝を飾りました。
第28回全日本少年アイスホッケー大会(2003年3月28日~30日@北海道・苫小牧)
小学生の部
12チームが参加。苫小牧選抜は2回戦で帯広選抜、準決勝で東京都選抜を破り決勝進出。釧路選抜は2回戦で栃木県選抜を、準決勝で札幌選抜を破り決勝へ進出してきました。決勝では苫小牧選抜が3-1で勝利して4年ぶり17回目の優勝を飾りました。
中学生の部
12チームが参加。2回戦で岩手県選抜、準決勝で帯広選抜を破った釧路選抜と、2回戦で東京都選抜、準決勝で栃木県選抜を破った苫小牧選抜との間で行われました。決勝では釧路選抜が苫小牧選抜を6-2で破り、5年連続18回目の優勝を成し遂げました。
第6回インライン全日本選手権Aプール(2003年8月22日~24日@茨城・ウェルサンピア日立)
Aプール決勝はツアーラベダトルネードスとブラッドウィズギアで争われ、ツアーラベダトルネードスが6-2で優勝しました。
サテライトヤングリーグ2003
totoの助成を受けて昨季からスタートしたヤングリーグ。今季からは北海道ディビジョンに加え、本州ディビジョンもスタート。また北海道ディビジョンは高校3年生のアンダー18とアンダー17の2つのカテゴリーに分けて開催されました。各カテゴリーの成績は次の通りです。
・北海道ディビジョンU17:1位道南8勝0敗、2位道東4勝4敗、3位道央0勝8敗
・北海道ディビジョンU18:1位道南6勝2敗、2位道東6勝2敗、3位道央0勝8敗
(1、2位は当該成績の得失点差により決定)
・本州ディビジョン:1位南関東6勝2敗、2位東北3勝3敗、3位北関東1勝5敗
【その他の大会・出来事】
IIHF世界ランキング制度の導入
2003年9月に開催された国際アイスホッケー連盟(IIHF)総会で「IIHF世界ランキング制度」が導入されることになりました。過去4年間の世界選手権と直近のオリンピック(出場予選を含む)の順位をポイント化し、その合計得点によって各国を順位付けする制度です。1位は1,600点、2位1,560点、3位1,520点……と順位によってポイントが与えられます。ポイントは直近の大会ほど割合が高く、当年の大会ポイントは100%配分され、前年以前はシーズンが古くなるにつれ75%、50%、25%と減少していきます。今後、オリンピックの出場権などはこのランキングをもとに予選のレギュレーションなどが決められていきます。
2006トリノオリンピックの出場国
2004年5月5日から7日までチェコ・プラハで行われたIIHF総会で2006トリノオリンピックの出場国、予選方法が決定しました。男子の出場枠は12。2004世界選手権終了時点のIIHF世界ランキングをもとに、1位から8位までは出場権を獲得。また開催国・イタリアも出場決定。残り3チームは、3グループに分けて行われる最終予選のそれぞれの最上位チームが出場することになりました。最終予選は世界ランキング9位から17位までは出場決定、残り3チームは1次予選の勝者が出場。
女子のオリンピック出場枠は8。世界ランキング1位から4位と開催国・イタリアは出場決定。残り3チームは3グループに分けて行われる最終予選のそれぞれ最上位チームが出場することになりました。
2003JIHFサマーキャンプ(2003年7月25日~29日、8月6日~10日@長野・軽井沢)
アイスホッケーの楽しさ、チームワークの大切さ、フェアプレー&リスペクトの精神、正しい技術などを子どもたちに伝えることを目的に、2002JIHFサマーキャンプが2003年7月25日から29日までは小学4年生から6年生を対象にしたクラス1、8月6日から10日までは小学1年生から3年生を対象にしたクラス2が行われました。クラス1には48名、クラス2には23名が参加。遊び感覚を取り入れ楽しく上達することを目指しました。参加者や保護者から同様の企画の継続実施の強い要望が多数寄せられ、来季は全国5カ所で夏休み期間中に開催する予定となりました。
長野カップ2004(2004年2月6日~8日@長野・ビッグハット)
2004年2月6日から8日までカザフスタン、ロシア、カナダ、日本の4チームが参加して長野ビッグハットで長野カップ2004(長野オリンピック記念国際大会)が開かれました。各国の成績・順位は次の通り。
1位:カザフスタン 2勝1分0敗 勝点5 得点14 失点9
2位:ロシア 2勝0分1敗 勝点4 得点17 失点6
3位:日本 1勝1分1敗 勝点3 得点9 失点10
4位:カナダ 0勝0分3敗 勝点0 得点6 失点21
フジテレビで「プライド」放映
2004年1月12日から3月22日まで、毎週月曜日、夜9時からフジテレビ系列で「プライド」が放映されました。アイスホッケーの実業団チームを題材に木村拓哉さん、竹内結子さん、坂口憲二さん、市川染五郎さん、佐藤浩市さん、佐藤隆太さんらが出演して人気を博しました。ドラマ制作にあたりJIHFは監修役として全面的に協力し、加盟団体をはじめ各チームや施設の多くの関係者の方々にご協力いただきました。
- <主な参考文献>
- 日本アイスホッケー年鑑 平成15年-平成14年 第23号(発行:財団法人 日本アイスホッケー連盟)
アイスホッケー・マガジン 2003年10月号、2003年11月号、2004年2月&3月号、2004年4月号、2004年7月&8月号(発行:ベースボール・マガジン社)

