歴史

基礎知識

語源

語源

アイスホッケーの起源説は数多く存在し、発祥地として名乗りを上げている国々は世界各地におよんでいます。

有名なものでは、16世紀のオランダの絵画に描かれている、市民が凍結した運河の上で行っているスポーツの光景が、ホッケーの起源ではないかという説があります。(Romeyn de Hooghe や Hendrick Avercamp の作品など)しかし、このスポーツの光景は、どちらかと言えば、ゴルフやポロに近いとも言われています。

他に、スコットランド発祥のシンティ(Shinty)、アイルランド発祥のハーリング(Hurling)、さらにネイティブアメリカンのチペア族のバゲタウェイ(Baggataway)など、様々な説がありますが、それぞれのスポーツには、ホッケーとの相違点があります。 シンティやハーリングには、ゴーリー(ゴールキーパーと呼ばれることもありますが、アイスホッケーではゴールテンダー(goaltender)、ゴーリー(goalie)と呼びます)が存在しません。また、スケート靴を履かないという大きな違いがあります。 バゲタウェイに関しては、1チームの選手の数が、15名と多い点が挙げられます。(近代的なアイスホッケーのルールが整備された19世紀後半は9名、その後、人数が多いと危険という理由から7名になり、現在は6名)

また、1763年にフランスからカナダ領土を勝ち取ったイギリス人兵士達が、カナダの長い冬の慰みに始めたと伝えられる、フィールドホッケーとノヴァスコシアの原住民が行っていた競技(ラクロス)を組み合わせ、凍結した河川、湖、池などで行っていたスポーツが起源という説もあります。
フィールドホッケーのボールを小さめにして飛ばないようにしたり、サッカーやフィールドホッケーと同じくゴールの代わりとして氷柱を代用したり、さらには対戦チームの人数が同じなら試合可能など、様々な工夫を凝らして競技を行っていたと伝えられています。

この他にも、イングランドのバンディ(Bandy)やフィールドホッケー(Field Hockey)、カナダのシニー(Shinny)やリケット(ricket、ノバスコシア)、アメリカ合衆国のアイス・ポロ(Ice polo)などが起源という説もあります。

競技として

アイスホッケーのルールが定められたのは、1877年、カナダのモントリオールにあるマックギル大学の学生らがフィールドホッケーとラグビーを組み合わせた競技ルールを考案しました。さらに翌年には同大学でアイスホッケー部が誕生しました。前述しましたが、発足当時のルールは9人制でした。

以後、幾度かのルール改正に伴い、7人となり、現在の6人制に落ち着きました。学生達が、乱雑であった試合に意味を持たせるためルールを考案したことにより、ゲームが洗練されアイスホッケーの人気は高まりました。アイスホッケーはカナダ各地で実施されるようになり、1887年にはオンタリオ州でアイスホッケーのリーグ戦が開催されました。そして、1896年にはアメリカ合衆国でも公式戦が開催され、アイスホッケーは北米を代表するウィンタースポーツと言われるまでに成長しました。

その後、ヨーロッパにもアイスホッケーの人気は広がり、1908年フランス人ジャーナリストの呼びかけにより、国際アイスホッケー連盟(IIHF)が設立されました。設立当初は、フランス、イギリス、スイス、そしてベルギーの4カ国が加盟しました。(ボヘミアを加えた5カ国という説もあります)そして、ヨーロッパ諸国、ロシア、北米、アジア諸国と順次加盟国が拡大し、2005年時点では、加盟数全世界64ヶ国(又は地域)に及ぶ、世界的なスポーツ競技となりました。

冬季オリンピック競技種目としては、男子は1924年シャモニー大会より実施され、初の金メダルはカナダが獲得しました。女子アイスホッケーは1998年長野大会で初めて実施され、女子初の金メダルは、アメリカ合衆国が獲得しました。

国内の歴史

1915年に平沼亮三氏がアイスホッケーの防具を輸入したことをきっかけに、長野県の諏訪湖で河久保子朗氏、田中稲実氏らが初めてアイスホッケーをプレーしました。
それから8年後、1923年には北海道帝国大学(現:北海道大学)の学生による学内の対抗試合を行い、その翌年には、国内の学生たちによる初の対抗試合が行われました。

日本は、1936年第4回ガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季競技大会から参加し、日本代表は、9位タイという成績でした。1966年11月から実業団チームによって日本アイスホッケーリーグ戦が行われ、国内のアイスホッケー人気がますます高まりました。北海道の苫小牧市、釧路市で特にアイスホッケーが盛んに行われており、歴代の優秀なアイスホッケー選手を多く輩出しています。その他、帯広市、札幌市、八戸市、さらに日光市などでも、アイスホッケーが盛んに行われており、学生、実業団、クラブチームなどによる対抗戦が各地で行われています。現在、ジュニアや女子選手の育成にも力を入れ、年齢別などの国内外の大会に参加しています。

▼1908年/明治41年
アイスホッケーの国際統括団体として国際アイスホッケー連盟(IIHF)創設。
▼1915年/大正4年
平沼亮三がアイスホッケー防具を始めて輸入し、河久保子朗、田中稲実らが始めてプレー。(於:諏訪湖)
▼1920年/大正9年
東京、関西、諏訪、仙台の有志により、日本最初のスケート統括団体として「日本スケート会」が結成される。
▼1923年/大正12年
北海道帝国大(現北海道大)の本科と予科との間で初めてのアイスホッケーの試合。
▼1924年/大正13年
早稲田大学対旧制松本高校(現信州大)、慶應大対東京帝国大(現東京大)の対戦が、国内初の対校試合。(於:諏訪神社)
慶応義塾大学、早稲田大学、東京大学、日本歯科大学の4大学により「全国学生氷上競技連盟」が結成される。
▼1925年/大正14年
全国学生氷上競技連盟主催で第1回学生氷上選手権大会を開催。 (於:松本市)
▼1927年/昭和2年
全国学生氷上競技連盟関係者によって「大日本氷上競技連盟」を創立。
▼1928年/昭和3年
大日本氷上競技連盟主催で第1回全日本氷上競技選手権大会を開催。 (於:諏訪湖)
日本スケート会は「大日本スケート連盟」を創立。
▼1929年/昭和4年
大日本スケート連盟主催で第1回全日本スケート競技選手権大会を開催。(於:諏訪湖〕
大日本氷上競技連盟と大日本スケート連盟が合併し、「大日本スケート競技連盟」が創立される。
▼1930年/昭和5年
大日本スケート競技連盟主催で第1回アイスホッケー全日本選手権大会開催。(於:日光)大日本スケート競技連盟の国際スケート連盟(ISU)及び国際アイスホッケー連盟(IIHF)への加盟。満州医大がヨーロッパ遠征の後に世界選手権大会へ出場。
▼1931年/昭和
6年4月1日大日本スケート競技連盟の(財)大日本体育協会への加盟。
▼1935年/昭和10年
初の外国チームとしてカナダ・サスカチュアンチームが来日し7試合。(於:芝浦他)
▼1936年/昭和11年
オリンピック冬季大会に初出場。(於:ドイツ・ガルミッシュパルテンキルヘン)
▼1942年/昭和17年
(財)大日本体育協会は(財)大日本体育会となる(名称の変更、部会制度等)。大日本スケート競技連盟は(財)大日本体育会の組織(スケート部会)となり、「大日本スケート競技連盟」の組織は消滅。
▼1946年/昭和21年
日本スケート連盟として再発足。
▼1947年/昭和22年
第1回国民体育大会冬季大会アイスホッケー競技会開催。(於:八戸)
▼1950年/昭和25年
日本スケート連盟の国際スケート連盟への再加盟。
▼1951年/昭和26年
日本スケート連盟の国際アイスホッケー連盟への再加盟。
▼1952年/昭和27年
第1回全国高校競技選手権大会アイスホッケー競技会開催。(於:蓼科湖)
▼1966年/昭和41年
札幌オリンピック開催決定。
古河・福徳・岩倉・王子・西武の5チームで日本アイスホッケーリーグ開幕。
▼1972年/昭和47年
札幌オリンピック開催。
日本スケート連盟アイスホッケー部門が日本スケート連盟から独立し、日本アイスホッケー連盟を創立。
国土計画(現コクド)が西武鉄道チームから分離発足し、リーグ加盟。
福徳相互銀行がリーグ脱退。
▼1974年/昭和49年
十條製紙(現日本製紙クレインズ)が日本リーグに加盟。
▼1975年/昭和50年
世界選手権大会Bグループ開催。(於:札幌真駒内)
▼1977年/昭和52年
世界選手権大会Bグループ開催。(於:東京代々木)
第1回全国ちびっ子アイスホッケー大会(現全日本少年大会)開催。(於:品川)
2月 9日文部大臣より財団法人許可。
2月25日財団法人日本アイスホッケー連盟成立。
▼1979年/昭和54年
岩倉組がリーグ脱退、雪印が発足しリーグ加盟。
▼1981年/昭和56年
第1回全国中学校アイスホッケー競技会開催。(於:八戸)
▼1982年/昭和57年
全日本女子選手権大会Aグループ開催。(於:東京)
▼1983年/昭和58年
世界選手権大会Bグループ開催。(於:東京代々木・品川)
▼1998年/平成10年
長野オリンピック開催。
第1回インライン全日本選手権大会開催。(於:野辺山)
▼1999年/平成11年
古河電工が廃部、HC日光アイスバックスが発足し、リーグ加盟。
▼2001年/平成13年
雪印が廃部、札幌ポラリスが発足するが1シーズンで日本リーグから姿を消した。
▼2002年/平成14年
ヤングリーグ開幕。
▼2003年/平成15年
アジアリーグ開幕。日本4チーム(王子製紙・コクド・日本製紙・日光アイスバックス)、韓国1チーム(ハルラウィニア)、日本製紙クレインズが初代王者。
西武鉄道がコクドと合併
▼2004年/平成16年
アジアリーグに中国2チーム(ハルビン・チチハル)・ロシア1チーム(ゴールデンアムール)が新たに加盟。
▼2005年/平成17年
アジアリーグに北欧資本ノルディックバイキングス(北京本拠)と韓国カンウォンランドが新加盟するも、ロシアのゴールデンアムールが脱退し9チームで開催。
▼2007年/平成19年
福藤豊選手が2007年1月13日ロサンジェルスキングスのGKとして、第3ピリオドからセントルイス・ブルース戦に初出場し、初の日本人NHLプレーヤーとなった。
世界女子選手権ディビジョンⅠ開催(於:日光霧降)日本1位。
▼2008年/平成20年
世界選手権ディビジョンⅠグループB開催(於:札幌月寒)日本3位。
▼2009年/平成21年
SEIBUプリンスラビッツが廃部。
東北フリーブレイズがアジアリーグ参戦。
▼2011年/平成23年
8月29日内閣総理大臣より公益財団法人として認定。
9月 1日公益財団法人日本アイスホッケー連盟へ移行。
▼2012年/平成24年
第1回ユースオリンピック冬季競技大会(於:インスブルック)男子スキルチャレンジで古川誠也が3位。
国際アイスホッケー連盟総会開催。(於:東京)
▼2013年/平成25年
ソチオリンピック女子最終予選グループC(於:スロバキア・ポプラド)日本出場権獲得。
世界女子選手権ディビジョンⅠグループA(於:ノルウェー・スタバンゲル)日本1位。
女子アイスホッケー日本代表愛称「スマイルジャパン」決定。
▼2014年/平成26年
第22回オリンピック冬季競技大会(於:ロシア・ソチ)女子日本代表8位。
6位ロシアがドーピング違反により失格、日本は7位に繰り上げられた。
▼2015年/平成27年
第27回ユニバーシアード冬季競技大会(於:グラナダ)女子日本代表3位。
▼2016年/平成28年
第2回ユースオリンピック冬季競技大会(於:リレハンメル)女子スキルチャレンジで竹中星奈が1位。
▼2017年/平成29年
平昌オリンピック女子最終予選グループD(於:苫小牧)日本出場権獲得。
▼2018年/平成30年
第23回オリンピック冬季競技大会(於:韓国・平昌)女子日本代表6位。
▼2019年/平成31年・令和元年
女子U18世界選手権開催(於:帯広の森)日本8位。
第29回ユニバーシアード冬季競技大会(於:クラスノヤルスク)女子日本代表3位。
日本製紙クレインズが廃部、ひがし北海道クレインズが発足しアジアリーグ加盟。
▼2020年/令和2年
第3回ユースオリンピック冬季競技大会(於:ローザンヌ)女子日本代表1位、女子3on3で佐藤礼那が2位、 草間悠羽が3位。
新型コロナ流行により世界選手権(男子・女子・男子U18)、アジアリーグプレイオフファイナル、全日本女子選手権大会(A)を含む主催9競技会などが中止。
新しいプロアイスホッケーチーム、横浜GRITSがアジアリーグに加盟。日本勢としては5チーム目。